第696号「日本の苦悩、井伊直弼首相の暗殺計画」

今が、ますます幸せだと気がツクには696号
日本の苦悩、井伊直弼首相の暗殺計画
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第51代、島津斉彬公に変わって
第52代、首相になったのは
徳川藩から議員になっていた経験のある
井伊直弼でした
井伊直弼は、開国派として
阿部正弘内閣でも
財務大臣として、任されていましたが
島津斉彬首相が、再選を目指さなかった事で
開国派の議員達の票を集め
水戸のある佐竹家派の武田耕雲斎、毛利家の長州派吉田松陰など
分裂している攘夷派の議員が支持する候補や
中間派の土佐の長宗我部派の吉田東洋などを破って
首相になれたのです

また、この当時、阿部正弘首相
井伊直弼首相と
徳川家出身の議員から、首相が続いているのも
理由がありました

というのも、この当時、主君である豊臣家と
徳川家の力関係も変わっていました
徳川家は、秀吉の時代の時でも
256万石と、222万石の豊臣家よりも
石高が多かったのですが
それは、この257年の間に
どんどん広がる一方でした
関東は、未開地が多く、石高は
300石になっていたのです

それに対して、豊臣家は、全国に土地がありましたが
開発されている土地が多く
そんなに国高は増えませんでした
246万石程度だったのです

しかも、都市も、徳川家は、江戸以外でも
小田原、韮崎、横浜、鳴戸、館林と言う都市も発展させました
議員の数は増えて、その分、豊臣家は、議員数を失ったのです

その上に、豊臣家が、全国に領地があって
議員も、都市型、農村型と分かれ
なかなかまとまわれないのに対して
徳川家の議員は、関東に限られていたので
比較的に、まとわる事ができましたし
大名家としても、発展していたので
欧米の知識も、入っていて
有能な議員が、送られてくる環境にありました
阿部正弘元首相の力もあって
若手で、身分の低いものでも
知略がすぐれていたら勝海舟のように
議員に推薦されるものも多かったのです

ただ、そんな徳川家の議員の中でも
分裂していましたし
まとまる事は、禁止されていました
徳川家の出身だから、首相になれると言う事は
決してありませんでした
たけど、やはり、徳川家の議員は、数が多い為に
有力な勢力に、自然になり易く
首相も、徳川家から出易くなっていたのです

だから、井伊直弼は、そんな徳川家で
自分を支持してくれる議員や
何よりも、全国の開国派の議員の支持を受けて
思いきった活動を続けました
攘夷派、京都の帝、孝明天皇が
外国嫌いなのを利用して
天皇の力を借りて、攘夷を実行しようとした
尊皇攘夷派の志士を
弾圧するようになったのです
邪悪なテロをする人物として
処刑しようとしたのです

それで、日本は、大混乱しました
尊皇攘夷派の議員の中には
毛利家から出た吉田松陰のように
一期だけで、議員を辞めて、国元で、松下村塾で
教鞭をしている人物もいましたが
井伊直弼首相は、そんな吉田松陰の弟子に
過激派がいる事を知ると
吉田松陰元議員や佐竹家の武田耕雲斎なども
取り締まろうとしたのです

でも、それは、大名担当大臣や
何よりも、豊臣家が、許さず、実行できませんでした
普段は、何も、政治に係わろうとはしない上に
病弱だった、豊臣秀定も
この時には激怒しました
議員の生命を守る事は
豊臣家が、秀吉の時から、
きつく言われている事で
豊臣秀定は、井伊直弼首相から
元議員の吉田松陰は、私塾を開いて過激派を育てていると
言われても認めませんでした
議員に関する事は、元であろうと
すべて豊臣家、戦国大名の議員委員会にありました
豊臣秀定が、頷かないかぎり、逮捕する事は無理だったのです

だけど、井伊直弼は
議員でない人物には
容赦しませんでした
テロリストして
毛利家の家臣である高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞や
佐竹家の家臣である藤田小四郎、田丸稲之衛門、武田金次郎
などを捕えて、処刑しようとしたのです

しかし、そんな井伊直弼首相は
桃の節句の日、伏見城の外で
佐竹家を脱藩した、水戸を中心とした武士に
突然、襲われて、旧式の武器である鉄砲で撃たれて、重症で
もう少しで、暗殺そうになると言う事件が起きました
日本の首相で、初めて暗殺される首相になるところだったのです

また、この事は、日本の内乱の深刻さを
内外に示す結果になりました
井伊直弼首相は、命は助かりましたが
重症で、当分動けなくて、首相を辞任すると
日本は、外交どころではなくて
この日本の攘夷派、開国派の対立を
一体、どうするかと言う事で
大きく揺れて
首相にも、決断力のある人物はいなくて
何も決められない国になろうとしていたのです



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695号「島津斉彬首相の決心」

今が、ますます幸せだと気がツクには695号
島津斉彬首相の決心
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アメリカ、ロシア、イギリス、フランスなどの諸外国と
次々と和親条約を結んで
欧米との戦争を避けて
四面楚歌の日本を救った
阿部正弘首相でしたが
国内では、大変でした

ペリーの来航以後
日本国内は、攘夷派と開国派の間で
対立が生まれて大変な事になったのです

というのも、攘夷派は
欧米の力は認めても
日本は、ここで妥協したら
将来、必ず、植民地にされるので
死ぬ気で、戦うべきだと主張しました
多少は、武器の質でも劣っていても
日本人の大和魂で戦えば
欧米に勝てると主張したのです

それに対して、開国派は
もっともっと、欧米との貿易を深めて
今の、日本の政府が、貿易を管理するのはなく
自由にして
欧米の技術を入れて
日本を、もっと強化すべきだと主張しました
そうしないと、将来、日本は
欧米の植民地になると
主張したのです

また、そんな攘夷派、開国派の主張に対して
阿部正弘主張は、八方美人的に
どちらの意見も聞きながら
国内の調停に努めながらも
優柔不断だと非難されていたのを返上するかのように
日米和親条約、日露和親条約、日英和親条約、日仏和親条約
を終結させましたが
これも、国内では、批判が高まっていました

インドネシアや南方の島々を、日本の自治領にする事にも
ロシアに、日本人の町、ウラジオストックを譲る事にも
国内に、利権を持っている豪商や大名が反対していましたし
将来、インドネシアを独立させると言う事には
大反対だったのです

それで、阿部正弘首相は、国内の調整に
心血を注ぎ過ぎたのか
日米和親条約の3年後
1857(安政4)年8月6日
突然、病で倒れると、そのまま急死してしまいました
外交問題による激務からの過労死と言われているのです

そして、その後、盟友、阿部正弘首相の
4年間の任期の残っていたわずかの期間
1年間と少し、9月15日まで
首相を務めたのは
島津斉彬外相でした
島津斉彬は、議会の首相総選挙で
多くの議員達から支持されると
第51代首相に選ばれたのです

でも、そんな島津斉彬首相は
阿部正弘首相の任期の間を無難に努めると
次期の首相選挙には
立候補しませんでした
立候補すれば、攘夷派の候補を打ち破って
勝利は、確実と言われていましたが
あえて、島津斉彬首相は、再選を望まなかったのです

何故なら、島津斉彬首相は
首相や大臣を務めた事で
今の日本の政権の行き詰まりを
感じていました
日本は、今、豊臣秀吉が亡くなる前に作り出した
大名を中心とした民主化のシステムでは限界に来ていて
小手先の事ではどうしようもないようになっていました
根本的な改革、大名も武士も
無くさないといけなくなっている事を
島津斉彬は、痛い程感じていたのです

しかし、61万石の島津家の藩主の嫡男で
次の島津家を継ぐ事になっている島津斉彬には
それは、できない事でした
仲間である多くの大名や家臣を切る事は
できないのです

その上に、島津斉彬は、
自分を藩主にしようとしなかった父親から
自分を守り
藩主しようとしてくれた大恩ある豊臣家も
裏切れませんでした
豊臣家は、ペリー来航の事で
心労のあまりになくなった
秀慶の後は、秀定がなっていましたが
豊臣家の恩を感じていました
自分には、豊臣家と対立する事はできないと思っていたのです

だから、島津斉彬公は、惜しまれて
首相を、任期で辞めると
次の首相総選挙では、立候補せず
薩摩に帰る事にしました
薩摩に帰ったら、父親に代わって
藩主になる事は
もう約束されていて
島津斉彬公は、61万石と言う大藩の大名として
優秀な若手で、次の日本の政治を任す事ができる
血を流しても革命を起こせるような
乱世に生きる、身分の低い武士を
議員に、送り込む決心を固めていました
そういった人材に、明日の日本を任せようとしていたのです


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694号「阿部正弘首相と島津斉彬外相の活躍」

今が、ますます幸せだと気がツクには694号
阿部正弘首相と島津斉彬外相の活躍
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ペリー来航した時に
応対した日本帝国の首相は
徳川家から、若くして、議員に選ばれて
3期、12年間務めた上で
外務担当大臣の元で、外交関係の勉強した上で
第50代目首相に選ばれた阿部正弘首相でした
阿部正弘首相は、35歳の若さで
多くの議員から選ばれて
この難局を乗り越える事を期待されていたのです

また、この阿部正弘首相は
人の話をよく聞くが、自分の意見はなかなか言わない
根回しの名人としても知られていました
今、欧米諸国からの外圧を受けて
混乱している国内のいろんな意見をまとめるには
打ってつけだと期待されていたのです

しかし、その反面、優柔不断で
八方美人という表現で
非難する議員もいました
決断力に、欠ける面があったのです

でも、阿部正弘首相は、この難局を必死で
乗り越えようとしていました
命を削ってまでも、必死で動いていたのです

しかも、そんな阿部正弘首相を支える人材として
島津藩の次期当主が内定している
藩主、斉興の嫡男、島津斉彬が、外務担当大臣と補佐していました

というのも、島津斉彬は、大名の170家の中でも
大名第一番の御方であると
多くの議員、松平慶永議員などから言われる程
知力、人望、決断がある人材でしたが
第8代藩主・島津重豪の影響を受け、洋学に興味を持つ事から
藩主になかなかなれませんでした

斉彬が藩主に就任となれば、島津重豪のように公金を湯水のごとく費やし
藩財政の困窮に一層の拍車をかけかねないと
特に藩上層部に心配され、藩主の斉興は
斉彬に、家督を譲らない事を宣言していたのです

でも、それを惜しんでいたいくつかの大名や豊臣家
阿部正弘議員などの多くの議員達が
積極的に動いて
島津斉彬を、議員にしました
父である斉興を説得して
島津家から、議員に出させたのです

しかも、豊臣秀慶は、島津斉彬を気にいっていて
側面から全面的に支援していました
藩主の斉興が、跡継ぎとして
斉興の側室、お由羅の子で斉彬の異母弟に当たる
島津久光の擁立を画策しましたが
決して認めようとはしませんでした
豊臣家が、認めない以上
どうする事もできなかったのです

その上、豊臣秀慶は、斉興の引退も求めていました
島津斉彬が、外務担当大臣の職務を無事に努めた後は
島津家の藩主にする事は
約束されていたのです

だから、阿部正弘首相と島津斉彬外相のコンビは仲も良く
この国難に、日本の為に、必死で動いていたのです

しかし、その頃の日本の情勢は
本当に危機でした
日本は、欧米諸国から袋叩きされそうとしていたのです

なので、阿部正弘首相と島津斉彬外相は
国内の反対を押し切って
まず、翌年、1854年2月13日に旗艦サスケハナ号など7隻の軍艦を率いて
大阪湾に入って、堺で、条約締結を求めた
ペリー提督と会って
ペリー提督が求めていた
本土から離れた
マリアナ諸島、北マリアナ諸島、ミクロネシア連邦などに対して
太平洋での航海・捕鯨の拠点(薪、水、食料の補給点)として
米国が、自由に、港に入港したり、貿易したりする事を認めました

マリアナ諸島、北マリアナ諸島、ミクロネシア連邦は
あくまでも、日本の領土ですが、自治領(じちりょう)として
通常の地方自治よりも遥かに高度な自治を行っている特定の領域として
米国の船が、自由に入ったり
貿易する事は、構わないとしたのです

その上で、阿部正弘首相は、島津斉彬外相の意見を入れて
自治領としてのマリアナ諸島、北マリアナ諸島、ミクロネシア連邦のなどの
強化にも努めました
南方の島々に対して
マリアナ諸島、北マリアナ諸島、ミクロネシア連邦からの議員を受け入れ
代わりに、マリアナ諸島、北マリアナ諸島、ミクロネシア連邦に
日本から、総督を派遣する事にしました
その総督が、アメリカの要望を聞いて
外交で、いろんな問題を解決していく事で
米国のペリー提督を納得させていました
ペリー提督も、独断で、砲艦外交が認められていても
日本に、砲撃して、戦争する事は
固く禁止されていました
仕方なく、納得すると、
3月31日に、堺で、この事を約束した
日米和親条約を結んだのです

また、阿部正弘首相と島津斉彬外相は
米国に続いて、ロシアと、領土の確定を行いました
日本が、大陸のウラジオストックの町などを
ロシアに譲って、日本人は、出ていく代わりに
ロシアは、樺太や千島列島を
日本の領土だと認めて
ロシア人は、すべて出ていくと
と言う交換条件で、日露和親条約を成立させて、戦争を避けました
これで、北方の安全を確保したのです

しかも、その上で、ロシアのウラジオストックなどと貿易を盛んにして
ロシアの南下政策にも協力して
沿海州の発展に協力する事も約束しました
ロシアは、戦争よりも、まだまだ発展していない
沿海州の発展に、日本が、援助してくれる事を
望んでいる事を見抜いて
阿部正弘首相と島津斉彬公は
こんな提案をしていました
欧米包囲網の中では、一番、意志が疎通している
ロシアからの脅威も、取り除いたのです

そして、最後に、イギリス、フランスに対して
インドネシアの自治を認め
インドネシアの政治体制が整えたら
将来は、欧米が、帝国主義
アジア諸国を、植民地にするのを止めたら
日本も独立させるという離れ技をして
欧米諸国を驚かせました

と言うのも、日本は、インドネシアを自治領とする事で
マレーシアを植民地にしているイギリスや
ベトナム、インドネシアを、狙っているフランス両国との
緩衝国となる事を期待したのです

と当時に、日本が、インドネシアを、将来、
欧米のアジア諸国の独立を条件に
独立させる事は
帝国主義で、次々と、アジア諸国を植民地にしている
欧米に対して、大きな仕返しでした
日本は、欧米よりも、民族よりも優れている事を示し
他のアジア諸国の奮起を、誘ったのです

その上に、阿部正弘首相、島津斉彬外相の凄い所は
将来、インドネシアが、独立するのは
イギリス、フランスしだいだとした事です
インドネシアが、独立させたくても
欧米が、今の帝国主義
アジア諸国を、植民地にしている間は
したくてもできないと言ったのです

何故なら、インドネシアが、独立したら
イギリス、フランスが、戦争を仕掛けて
インドネシアを植民地にする可能性がありました
それは、絶対に認めないと言う意志を示して
アジア諸国を植民地にする、欧米を非難したのです

それで、イギリス、フランスも
日本と、日英和親条約、日仏和親条約を結ぶ事で
日本が、インドネシアを自領とする事を認めました
インドネシアは、日本が決めたらいいとしたのです

だって、インドネシア人は、日本の自治領になる事で
大幅に、権限を与えられ
将来は、独立できると言う事で
歓喜に沸いていて、
欧米が来ても、インドネシア人に残る日本人と共に
死ぬまで戦う気でいました
日本と戦うならまだしも、インドネシアの現地の人達を
本気で、敵にしたら
とても勝てません

それで、イギリス、フランスも
インドネシアを植民地にする事を諦め
自国が、植民地にしているアジア人達が
両国を非難し
インドネシアに続けと、決起する事を恐れると
この問題を、早く終わらせようとしたのです

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693号「ペリーの来航 四面楚歌の日本」

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ペリーの来航 四面楚歌の日本
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マシュー・ペリーが率いるアメリカ海軍が
サスケハナ号、ミシシッピ号、サラトガ号、プリマス号の4隻の軍艦で
日本の大阪湾に現れたのは、1853年7月8日でした

しかもここで、マシュー・ペリー提督は
フィルモア大統領の親書を携えていて
マリアナ諸島、北マリアナ諸島、ミクロネシア連邦などの
南方の島々の解放を求めてきました
自由に、米国が、北マリアナ諸島、
ミクロネシア連邦の港に入港したり
貿易する事を要求してきたのです

しかし、それだけでなく
真の狙いは、日本から
南方の島々を奪う事でした

と言うのも、米国は、北米大陸の東側に到着すると
次のフロンティアの地を
太平洋に求めていました

だけど、その太平洋には
日本と言う一大帝国がありました
日本は、ハワイ諸島から太平洋の南方の島々をはじめ
オーストラリア大陸、フィリピン、インドネシアまで
支配しているので、
米国の入り込む余地がありませんでした
日本は、真田幸村首相の頃から
こんにちを予想していて
先に、島に、日本人を移住させて
先住権を持っていたのです

でも、米国は、それでは納得できませんでした
それで、同じように、日本帝国に
敵対心を持っているイギリス、フランスとも
密かに組んで
日本から、戦争してまでも
南方の島を奪うつもりだったのです

しかも、日本の危機は
米国だけでなく、北方のロシアともありました
ロシアは、どんどん東に進出して
シベリアを超えて
ウラジオストック近くまで来ていました
日本人が、住んでいる大陸の拠点
ウラジオストックを狙っていたのです

その上、イギリス、フランスも
日本のインドネシア、フィリピン狙っていました
中国大陸の清との戦争に勝利して
香港などを得たイギリスは
邪魔な日本を一掃しようとしていたのです

と言うのも、この当時、アジア諸国は次々と
欧米の植民地になっていて
残るは、日本と清国だったのですが
この清も、アヘン戦争で負けて
半植民地状態になっていたからです
イギリスに、領土の一部香港などを与えたのです

だけど、それに対して、日本は、何もできませんでした
清国には、再々、朝鮮国を通して欧米の状態を伝え
国を強くするためにも
貿易をする事を求めていましたが
自国の方が、上だと言う、中華思想から
抜けようとしない清国は
日本の力を認めようとはせず
日本を素直に受け入れようとしなかったのです

その上に、イギリスとアヘン戦争になった時も
日本の忠告を無視して、早々とイギリスに降伏してしまいました
日本は、清国に、日本が援助するので
決して、清国に降伏しない事
イギリスは、清国の領土を、ずっと占領する力はないので
降伏しなかったら
いくら戦争に勝っても、やがて、イギリスから
和平を求めてくるので
負けた事にはならないと
必死で、アドバイスしたのですが
清国は、日本の忠告を無視したのです

なので、日本は孤立していました
アジアに、頼れる国はまったくありませんでした
この当時の日本は
四面楚歌の状態だったのです

だから、欧米諸国は、白人でない
キリスト教もない
異質な日本を
ここで、叩き潰そうとしていました
いえ、自分達、白人が、一番だと
差別意識がある白人たちは
真から、黄色人種である
日本人を憎んでいたのです

また、それに対して
日本帝国は、大きな危機を感じて
国内では、大混乱していました
何故なら、科学技術の点では
欧米諸国から離れている日本帝国は
敵わない事は、よく分かっていました
どうしても、情報が入るのが遅く
欧米諸国も、日本を警戒して
科学技術を伝えようとはしなかったのです

それで、日本帝国は
欧米よりも、黒船の技術でも
劣っていました
今更、黒船に驚きませんでしたし
日本も、黒船の軍艦も持っていましたが
米国の黒船よりも劣っている事は
自覚していたのです

しかも、今までは、アジアに
本国があると言う強みで
日本は、科学技術の遅れを
量で、補う事が出来ましたが
イギリスは、シンガポールと香港に拠点を持ち
ロシアも、ウラジオストックに迫り
アメリカも出てくるとなると
日本の強みは、生かせませんでした
欧米諸国は、あまりにも
日本に迫りすぎたのです

なので、日本は
今、ここで欧米諸国と戦っては
大変な事になる
戦争に負ける事を自覚していました
一国との戦いならまだしも
米国、ロシア、イギリス、フランスを
一度に、敵にしたら
勝てる見込みなど無かったのです


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692号「日本帝国の大発展」

今が、ますます幸せだと気がツクには692号
日本帝国の大発展
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
第六代目、石田三成首相の後も
日本は、豊臣家を中心とした
戦国大名達が選んだ議員達が作った政府の指導の元で
どんどん発展していきました

首相自身は、戦国時代に生き残った人物
大名が居なくなった事で
徳川家康、真田幸村、石田三成以後は
小粒になった感じで
どうしても、指導力が欠けている面もありましたが
それでも、無能な人物は出ませんでした

戦国大名達は、当家の恥と言う事で
まったく無能な人物を
議員に推薦する事はありませんでしたし
戦国大名が作った、議員を教育するシステムも
万全でした
戦国大名は、自分達の最大の役は
議員と首相に、有能な人物を選ぶことだと認識していたのです

しかも、最初の頃のように
藩、大名の利益だけを考える人物を
議員に選ぶ事も無くなってきました
そう言った人物がいても
三猿制度で、議員に対する監視も徹底していましたし
議員達は、藩、大名の意識ではなく
国全体で、考えるように教育されていました
なので、日本の議員、首相は
有能な人物だったのです

また、そんな日本は
真田幸村首相の時に、
フィリピンに侵入して
スペイン人を追い出して
フィリピンを占領していましたが
そのフィリピンを拠点にして
スペインの後、世界の覇権国になったオランダが
イギリスとの戦争に敗れた時、オランダからインドネシアも奪いました
インドネシアを、占領しているのです

でも、そんな日本も、
東南アジアは、どうする事もできませんでした
東南アジアには、インドからマレーシアに進出して
シンガポールを拠点にしているイギリスや
ベトナムを狙っているフランスが
東南アジアにある、多くの日本人の町を潰した事で
イギリス、フランス連合軍と
タイランド湾の海戦で戦ったのですが
見事に大敗してしまいました
軍艦の数では、多かったのですが
性能で、劣っていたのです

だけど、それで、イギリス、フランスは
日本から、東南アジアを守れても
本国のヨーロッパから離れている為に
日本が支配するインドネシア、フィリピンを
占領する力はありませんでした
人口が少なく、力不足だったのです

だから、イギリス、フランスは
日本と協定を結んで
日本は、東南アジアを放棄する代わりに
南方に進出する権利を認めました
それで、日本は、どんどん、南方に向かうと
パプア・ニューギニア、オーストラリア、ニュージランドに進出しました
日本は、パプア・ニューギニア、オーストラリア、ニュージランドという
大きな領土を、獲得する事ができたのです

何故なら、日本の国は
豊臣秀頼が、国家百年の計で
ヨーロッパ諸国から、アジアを守る為に
アジアに、進出する事を決めてくれたおかげで
積極的でした
日本国内だけで、考えたら
海外に、出る必要はありませんでしたが
開国して、世界の情報が入ってくる日本は
常に、危機感を持っていて、必死で
ヨーロッパから、アジアを守る為に
どんどん日本人を送りこんだのです

しかも、その時に、大きな力になったのは
武士達でした
日本の政権は、武士の次男、三男をリーダにして
百姓、商人、職人の次男、三男を集めて
大移民団を結成して
どんどん、パプア・ニューギニア、オーストラリア、ニュージランドに
送りこんでいたのです

なので、日本は、オーストラリア、ニュージランド獲得競争でも
イギリスに勝つ事ができました
本国が、近いと言う事と
移民の質がいいと言う事が
大きな原動力になっていたのです

その上に、日本は、南方だけでなく
まだ、ヨーロッパ諸国
ロシアや米国の勢力が強くない
東方や北方にも
どんどん移民団を
送り込みました
北方で言えば
樺太、千島列島から大陸のウラジオストック
東方で言えば、ハワイ諸島にも
進出していたのです

だから日本帝国の最盛期には
北は、樺太、千島列島
東は、ハワイ諸島
南方は、マーシャル諸島
ニューカレドニア
ニュージランド、オーストラリア
西は、インドネシアまでを
支配している
ヨーロッパ諸国からも、一目置かれる
大英帝国、イギリスと比較される
日本大帝国に発展していたのです


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691号「三猿制度「見ざる、聞かざる、言わざる」

今が、ますます幸せだと気がツクには691号
三猿制度「見ざる、聞かざる、言わざる」
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
豊臣秀頼から、政権を任された副首相徳川家康は、
首相として、最後の御奉公とばかりに
老骨に鞭打って、首相として努めようとしましたが
首相になって、すぐに、病になって倒れました

健康面では、問題はなかったのですが
鯛の天ぷらによる食中毒説が有力でした
豊臣秀頼と、孫である千姫と
その二人の間にできた、世継ぎである
曽孫である豊臣秀家と
大阪城で会った帰り
上機嫌で、好物の天ぷらを食べたのですが
突然に、腹中を訴えて
心配して駆け付けた、豊臣秀頼、千姫や
大臣、戦国大名、議員に見守られながら
幸せに亡くなりました

最後に、徳川家康は「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、
いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、
こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。
勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。
おのれを責て人をせむるな。 及ばざるは過たるよりまされり」
という有名な言葉を残していますが
自分の人生に、悔いはないと言ったのです

しかも葬式も、喪主、徳川秀忠の元
盛大に行われました
豊臣秀頼も参加して
江戸城で、最初の国葬として行われたのです

また、徳川家康の後の首相は
徳川家康の遺言で、石田三成が就任しました
徳川家康は、枕元に、石田三成を呼んで
自分の内閣を支えようとしてくれた
石田三成に礼を言った後
首相総選挙の時には、卑怯な事を勝利した事を詫びて
後を託して、死んだのです

そして、その後を継いだ6代目の石田三成首相は
豊臣秀頼、徳川家康に託された政権を
無難にこなしましたが
その中で、後にも語り継がれる大きな政策を実行しました
それが、後の世に言われる
「見ざる、聞かざる、言わざる」と言う三猿制度でした

と言うのも、いつの世にもある事ですが
議員や大臣に対する賄賂、汚職は
絶えませんでした
議員や大臣には、大きな権力があって
商人や、大名が、どうしても近づいてくるのです

だから、議員を管理する為に作った
選ばれた12家の大名本人か
大名の家臣一人ずつで構成する
議員管理委員会では
罰則を厳しくし
調査もしていたのですが
なかなか調査できるものではありませんでした
実際は、分かりませんが
噂は、消える事はなかったのです

しかも、石田三成自身も
徳川家康公との首相総選挙の時に
徳川家康の側近、本多正信によって
小早川家からの議員や吉川家からの議員の裏切りで
脇坂家、小川家、赤座家、朽木家の4家の議員の票を失った事があります
賄賂ではありませんが、家の永続を保障されて
脅されて、見事に、寝返りされたのです

なので、その事を、後に知った石田三成は
議員が、賄賂や脅される事がないように
すべきだと考えていました
たった2票で負けた時の悔しさを忘れていなかったのです

だから、石田三成は、豊臣秀頼首相、徳川家康首相の時
大名担当大臣をしていた時に
議員、大臣の汚職一掃する為に
議員管理委員会と考え
「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿制度を考え出しました

すなわち、議員や大臣、内閣の省のトップには
警護の目的も兼ねて
一日中、夜の営みも含めて
必ず、誰か一人は、議員管理委員会で選んだ
三猿と呼ばれる人物に監視されると言う
厳しい制度を考えたのです

何故なら、こうしたら
絶対に、汚職は不可能です
大臣、議員、省のトップと直接、話をする事はできないので
どんな汚職もできません
普段、家臣達に、常に見守られている
ある大名の発案で
議員管理委員会でも、その案に賛同して
実行する事になったのです

その上に、この案には、徳川家康首相も
石田三成大名担当大臣が、内々に、話したら
賛同してくれました
徳川家康首相は、自分が、本多正信に命令して
脅した経験があるだけに
議員の心理には敏感でした
将来、自分と同じような事を
誰か、別な人物が、する事を懸念していました
絶対に、議員や大臣を脅す
首相の独裁者は、作るべきないと考えていたのです

それで、石田三成の「見ざる、聞かざる、言わざる」の
三猿制度を承認していました
徳川家康政権の元で、実行されるはずだったのです

しかし、そんな徳川家康首相は、急遽亡くなってしまいました
石田三成大名担当大臣に、三猿制度は
どんなに反対しても
実行するように、遺言していたのです

なので、徳川家康の後を継いだ石田三成首相は
自分の後任に、豊臣家や大名、議員委員会から選ばれた
元自分の家臣で、今も石田家の重臣で
後任の大名担当大臣にもなった
島左近担当大臣の協力で
実行したのです

だけど、これには、議員、一部の大臣から
猛反発を受けました
誰も、そんな監視されたくなかったのです

でも、議員に対する事は
まったく議員には、決める事はできませんでした
すべての権限は、政権を、自分達に、委任してくれる
大名達にあって、議員達は、何も決められなかったのです

それで、見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿制度は
議員達の恨みと反発に中で成立したのです

しかし、石田三成首相は、その反面
議員達や大臣の個人の秘密を守る事にも積極的でした
議員を、管理する事の危険性も理解していて
「議員管理委員会」にも助言していて
「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿制度は、徹底する事にしていました
議員達は、賄賂を貰わなかったら
大抵の事は、許されていました

大名や首相、大臣、豊臣秀頼の悪口も言う事も
認められていて
議員同志の駆け引きも許されていました
議員を騙したり、裏切ったりしても
人を殺さないかぎり
咎められる事はなかったのです

しかも、三猿と言われる人達は、それを、議員委員会が新たに作った
三猿委員会で、報告する事も禁じられていました
まったくの、「見ざる、聞かざる、言わざる」を
徹するように、命令されていたのです

その上に、議員達は、自由でした
女性に関しても、妾、側室なども
内々に認められていました
女性から、何かの依頼されたり
秘密保持を守られなかったら
別ですが、後は、何でも拘束される事はありませんでした
「見ざる、聞かざる、言わざる」は
ここでも、徹底されていましたし
三猿の人が、人に、漏らす事も、厳禁でした
もし、そうしたことが分かったら
命はない事になっていたのです


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690号「豊臣秀頼首相の国家百年の計2」

今が、ますます幸せだと気がツクには690号
豊臣秀頼首相の国家百年の計2
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
また、豊臣秀頼は、国家百年の計として
8として、今後、日本は、重商主義でいく事を宣言しました
即ち、日本の国は、外国との貿易を盛んにして
国内の商業を発展させて
政権を運営する財源は
年貢から、商業に変えていく事を
明確にしたのです
いつまでも、年貢に頼られない事にしたのです

しかも、その為に
9として、国内で、統一した市場のルールを作り
大名が、国内の産業を守る為に
商人や産業を排除する事を禁止しました
商人が、どこでも、自由に商売できる事を保障して
各大名が、いろんな産業を、競争して
発展させていく事を
奨励したのです

そして10として、外国の国々にも負けないように
科学技術の発展に努めて
ヨーロッパの科学の知識を、
広く、学び事にしました
ヨーロッパの国々の力を認め
日本人が、ヨーロッパから来る民族を
南蛮人、野蛮人だと思っている意識を
改めようとしたのです

けれど、その一方で、ヨーロッパの国々が
アジアの国々を、植民地にしている事は
大きく非難して
11として、日本は、アジアの国々の解放を
宣言しました

将来、いつか、アジアの国々を開放すると言い
フィリピンなども、現地の人達を搾取せずに
アジアの同胞として共に、運営していくとしました
日本は、その為に、ヨーロッパの国々から
アジア諸国を守る為に
日本軍の軍備を、無理しない範囲で強化して
全国の大名からも、石高と経済力に応じて
目安として、1万石に11人
武士以外のもの、士農工商の身分を関係なく
若者を出させ
12として、日本陸軍10350人、日本海軍1万人を
常時維持して
アジア諸国を守るとしました
13として、ヨーロッパ諸国から、アジア諸国を守る為に
日本は、アジア諸国に、進出するとしたのです

また、これは、今までの計とは、大きく違いますが
石田政権の時から実行していますが
この頃は、もう一つ、盛り上がらず
大名達の間でも、しなくなった
秀吉公が亡くなった日、8月18日を
その土地の先祖の御霊達を称え
各大名の藩主や、その土地で活躍した大名を称え
士農工商の身分関係なく
共に、喜び、祭りをする日として
14として国民の休日にする事を提案しました

日本国民の日として
全国の大名が、一斉に、豊臣家の命令で
1万石に一つ作った豊国神社で
それぞれのお祭りをする事にしました
それで、盛り上げようとしたのです

と同時に、15として、織田信長公が亡くなった本能寺の変の6月2日も
豊臣秀頼は、武士、戦で亡くなった御霊達英霊を
供養する日として
国民が感謝する日として
国民の休日にする事も提案しました
英霊達に、感謝する日として
1万石に一つ、もう一つ作った神社を
全国共通の靖国神社と言う名前で呼び
その神社で、国民が
神妙にお祈りする事も、16として提案しました
大名達が、戦で亡くなった兵達を
供養する事で
この祭りも、静かに盛り上げようとしたのです
それで、今後、戦争で亡くなった英霊達も
この靖国神社で、供養する事にしたのです

しかし、こう言った豊臣秀頼首相の国家百年の計
16の計ですが
なかなか大名議員達に
全部はね理解されませんでした
父である秀吉が造った、士農工商の身分制度やキリシタン弾圧を
大幅に改めようとしている事に
違和感を持っている大名や藩の代表の議員もいましたし
豊臣秀頼首相が、8月18日と6月2日を
国家の祭日として、全国でお祭りする事にも
大名家の負担を心配したのです

でも、一番の理由は
豊臣秀頼首相が、国家百年でやろうとしている事は
武士の発展よりも、商人や職人を発展させていくことではないか
と言う不安でした
武士の中には、駆け引きだと言って、平気で、嘘をついて
がめつく利益を稼ぐ商人を
馬鹿にしているものが多く
これでは、商人、職人が、有利ではないかと
本能的に、恐れていました
武士が、将来、必要としなくなる
頭のいい、算術などの学問ができるもの
役人しか生き残れないのではないか
そう思っていたのです

だから、豊臣秀頼首相でも
この国家百年の計を
大名議員の議会や議員議会で
可決して、通す事には
苦労しました

何故なら、大名議員の中には、密かに反対するものもいたのからです
特に、武士以外のものも、兵士にする事は
大名の負担も大きいとか
商業を推進する事は、商人達の奢りを産んで
風紀が乱れると言った反対論も飛び出したのです

でも、それを、豊臣秀頼首相は
時間をかけて
大名議員、議員、一人一人に説明して
国家百年の計なので
ゆっくり時間をかけて
まずい所は、議員達で、修正して
推し進めたらいいと言う事で
説得しました

しかも、豊臣秀頼の妻である千姫の祖父になる
副首相の徳川家康や、大名担当大臣の石田三成も
豊臣秀頼首相を支え
引退した豊臣家の家臣だった大名も
最後の御奉公と言う事で
積極的に動きました
石田三成などの文治派、加藤清正などの武断派が協力して
豊臣秀頼の国家百年の計を
通すように求めたのです
特に、その中でも、加藤清正土木担当大臣や福島正則は
平気で、大名議員、議員を恫喝する事さえあって
豊臣秀頼から、注意されてしまう事もあったのです

その上に、元首相の真田幸村も
全国を駆け巡り、国元にいる大名にも
会いに行って
秀頼首相の国家百年の計を
説明して回ったのです

それで、豊臣秀頼は、何とか、首相になった1年後に
この国家百年の計を、全部通す事に成功しました
しかも、大名議員の議会では、全会一致の賛成
議員の議会でも、9割以上の賛成票を獲得する事ができました
豊臣秀頼は、圧倒的な票で、これを議決しないと
将来、なし崩しになる恐れがあると判断して
全会一致で、議決されるようにガンバッテいて
この結果に、満足すると
両議員達に、心から感謝する言葉でお礼の演説をすると
辞職して、後は、副首相の徳川家康公に任せたのです

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689号「豊臣秀頼首相の国家百年の計1」

今が、ますます幸せだと気がツクには689号
豊臣秀頼首相の国家百年の計1
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
豊臣秀頼は、日本の首相になりました
その認証式は、伏見城で行われました
全国の大名議員、元大名、大名、商人
議員、大臣、公家などを集めた場所で
行われたのです

また、その認証式で、涙ぐむ人達も多くいました
加藤清正、福島正則は、立派な秀頼の姿で
大きな声を出して、男泣きしました
慶長3年、秀吉が、亡くなる前に
諸大名に謁見した時に
「あの秀頼が、十五歳になり
今日の俺のように、大名を
謁見する姿をみたいものだ」
といいつつ、さめざめと
涙を流したという話を
武断派の大名から聞いていました
それを叶える事ができたと思うと
嬉し涙を流したのです

しかも、この秀頼の認証式で
霊が見える、霊媒師には
豊臣秀吉公の霊と織田信長公の霊が、仲良く現れて
秀頼公を見ていたという話もありました
二人の霊は、対立するのではなく
喜んでいたと言うのです

そしてそんな豊臣秀頼政権ですが
秀頼は、最初に言っていたように
1年で、退任するつもりでした
とても自分には、首相になる器はないと思っていたのです

しかし、そんな豊臣秀吉を
元首相の真田幸村が、影で支えていました
なので、豊臣秀頼は、大胆の事をしました
「秀頼公の父である太閤秀吉公が、考えた政策は
他の誰が、首相になっても
簡単に、改める事はできません
もちろん、私にも無理でした
それは、秀吉公の息子である
秀頼公しかできません」
真田幸村は、そう言って
豊臣秀頼を口説き、
秀頼は、それを実行しようとしたのです

また、そんな豊臣秀頼が
まずやった事は
日本の国家、百年の計を決める事でした
秀頼は、決して忘れた事のない
秀吉の遺言の実現を目指していました
それを秀吉の夢、遺言にするのではなく
日本国の方針
今は、無理でも、いつかは実現する
国家百年の計にする事が
首相になる最大の動機だったのです

それで、豊臣秀頼は、各役省の官僚を動かし
大臣達とも、協議して見事に
その国家百年の計を作り上げました

それは、将来は、日本国民の誰もが
公家、大名になる事は無理でも
首相、大臣になる事は可能とし
1として、今は、秀吉が定めた身分制度、士農工商に関して
武士の最上位は、そのままにする事で
政権は、大名、武士、侍が
今後も、運営する事を明確にしましたが
他の農工商に対しては
同じ身分と言う事にした上で
転職も、才能さえあるなら
届け制の上で、自由としました
事実上、士農工商の制度は
改めたのです

と言うのも、百姓が上位で
職人、商人の身分が低いと言う事では
日本の国は、いつまでも経済が発展しません
工芸、商売に対して侮る気持ちが、生まれます
豊臣秀頼は、それを改めようとしたのです

しかもその上で、2として、全国の大名に
今、召しかかえている武士の数、名簿を
政府に、提出させて
それ以上、増やさない事を厳命したのです

と言うのも、豊臣秀頼は、
武士には、健康なものは
余程身分の高いものは、例外としても
年に何回かは、地元で、軍務の訓練もさせて
予備兵として、いつでも戦場に行けるようにする事を考えていました
何かあった時は、ある程度戦える兵士を作る事にしたのです

その上で、3として、軍務の訓練だけでなく
教育も施して
武士を、国を運営していくエリートにしていく事にしました
将来は、武士達の中で、大名に、議員になる武士を推薦していけるように
したいと考えていたのです

また、そんな武士に対して
4として、福利厚生と言う考えを打ち出して
将来的には、武士として、登録している家のものは
何があっても
妻と二人の妻子までは
衣食住は、国と大名で
将来的には、死ぬまで、保障すると言う
考えを打ち出しました
大名が、リストラしても、最低限の生活で
生きていけるようにしたのです

何故なら、こういった特権を与える事で
武士に、誇りを持たせて
その代わりに、いろんな義務も
担わせようとしようとしましたし
秀頼は、決して、口には出しませんでしたが
武士にする事で
将来は、農工商の人達
すべての日本国民に
福利厚生の考えが広まる事を願っていたのです

と同時に、そんな武士にも
5として、ごくわずかですが
本当に、才能があるものなら
百姓でも、職人でも、商人でも
武士になれるようにしました
本当に、有能なものは
武士になれるようにしたのです


また、6として、宗教に関しても
秀吉が、行った、キリスト教の禁止は
廃止しました

というのも、今、世界に進出している国は
すべて、白人、ヨーロッパの国々です
キリスト教の国々です

それに対して、アジアの国々は
ヨーロッパの国々におされている一方です
だから、豊臣秀頼、将来、日本が
ヨーロッパの国々を、全部敵にする事を恐れていました
それで、日本人が、白人になる事も
キリスト教の国になる事も
不可能ですが
せめて、日本人の中に
キリスト教徒がいる必用性はあると考えていました
ヨーロッパの国にも、日本人の中にも
キリスト教徒がいる事で
ヨーロッパの軋轢を減らしたいと考えていたのです

それで、豊臣秀頼は
宗教は、政治に係わらないのであれば自由として
キリスト教も認めました
ただし、しっかり監視して
キリスト教が、日本で広まる事がないように
しっかり監視させる事にしました
キリスト教を、警戒し、恐れていたのです

それで、7として、キリスト教に関しては
届け制度にして
キリスト教会は、
年に1回は、信者の数と名簿を報告しないといけないとしました
報告を行わなかったら、処罰する事にしたのです
こうして置いて、徐々に規制を緩和して
最終的には、将来、秀吉が、遺言したように
自分以外は、石田三成しか知りませんが
自分だけに当てた秘密の遺言を守ろうとしました
将来は、キリスト教も解禁して
日本国民が、誰でも、自由に
すべての宗教と縁が持てるようになる事を
願っていたのです

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688号「豊臣秀頼首相誕生」

今が、ますます幸せだと気がツクには688号
豊臣秀頼首相誕生
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
真田幸村首相が、二期務めた後、
日本の政権は、一期だけ、豊臣家を中心とした
戦国大名達に、任される事になりました
これは秀吉が考案した時から決められていた事であり
大名達で作る議員管理会で承認した事でした
四期、16年間、大名達が選んだ議員が
日本の政権を担当した後
一期、4年間は、全国の大名達で
政権を担当できるようにしたのです

と言うのも、日本の大名達の間には
どうして、我々が、日本を治められないのかと
いう不満がありました
大名の中には、日本の政治に、目覚めたものもいたのです

それで、議員管理会では
日本の1万石の大名、170名を議員にして
大名本人か、大名が選ぶ有力な家臣1名を
必ず、議員にして
京都の伏見城で、4年間滞在するようにしたのです

こうする事で、大名本人が行きたくない場合は
家臣が、参加する事で
議員になりたくない
多くの大名の不満にも対応したのです

また、議員管理会がそうする狙いは
大名自身か、有力な家臣が、議員を担当する事で
議員と言うものが、どういうものか
体験して、貰う事にありました
そうする事で、今後、大名や家臣が選ぶ議員達にも
大いに参考になると考えていたのです

ただ、それだけではなく
もう一つの狙いは、組織の活性化にありました
どんな組織でも、ずっと、同じやり方で
定着していたら、
必ず、マンネリ化してしまいます
今の日本の政権、真田幸村政権でも
そんな兆候がみられたのです

なので、議員管理会では
5期事に、大名達を議員にする事にしました
これで、今の議員達に、刺激を与えようとしたのです

しかし、その反面、これにはいろんな問題が考えられました
今、議員と活躍している議員達をどうするか
こう言った大きな問題があったのです
それで、議員管理会では
今の議員達にも、政権を担当させる事にしました
5期の時には、例外的に
二つの議会制、大名議会と議会に分けて
大名議会で決められた事でも
議会で、過半数の賛成票がないと
実行できない事にしました
そうする事で、大名議員達の暴走も防ぐ事にしました
議員管理会も、これで、どうなるかは
少し、不安を持っていたのです

また、1万石から5万石の大名の意見が
人数で、通る事を防ぐ為に
首相、大臣の人選は
豊臣家が、大名達の意見を聞いて
すべて決める事にしました
そうする事で、大名達が
首相の座を巡って
争う事がないようにする事も狙ったのです

そして、そんな大名政権の初めて首相には
22歳で、もう元服して
関白にもなった豊臣秀頼公に
なって欲しいと言う声が
豊臣家の恩顧の大名達に上がりました
隠居している加藤清正の加藤家や
隠居している福島正則の福島家では
年貢を納める御奉公の恩はなくなって
主従の関係は、大きく減ったと言っても
それでも、豊臣家は、主人でした
太閤秀吉公が、夢見ていた
秀頼公の勇姿の姿
豊臣秀頼公の首相姿を見たいという声を上がったのです

しかし、豊臣秀頼は、最初は、首相には、なりたがりませんでした
自分には、そんな器量はないと固辞して
他の人物を選ぼうとしていたのです

何故なら、秀頼は、自分には
父、秀吉のような器量はないと思っていました
それで、秀吉が、政権というシステムを作ってくれた事に
心から感謝していました
実力もない、自分が、大人になって、関白になって
日本中の大名を支配するようにならなくて
よかったと思っていたのです

だけど、それでは、豊臣家の大名は納得しませんでした
どうしても、亡くなった太閤殿下の御霊の為にも
少しでも、首相になって欲しいと懇願して止めなかったのです

しかも、そんな豊臣秀頼公に
真田幸村首相が、説得しました
真田幸村首相は、今、豊臣秀頼公でないと
できない事があると言って
豊臣秀頼を口説きました
今、ここで、豊臣秀頼自身が
豊臣秀吉が遺言した事を
日本の政権内で、明確にしないと
ちゃんとした方針にしないと
もうすぐ、風化すると助言したのです

それで、遂に、豊臣秀頼公は、首相になる決断をしました
徳川家から、上杉家、毛利家など
全国の大名が、懇願するので
1年だけ勤めて
後は、自分の、千姫の妻のお爺さんになる
副首相になる徳川家康公にお願いすると言う事で
承知したのです

その上で、秀頼は、戦国大名担当大臣に
石田三成を指名して
豊臣家臣団の中で
長年対立していた文治派、武断派の対立を解消しようとしていました
自分が首相になる事を、条件にして
文治派、武断派の大名に
仲直りする事を迫っていたのです

それで、加藤清正の加藤家、福島正則の福島家
石田三成の石田家、小西行長の小西家も承知しました
月日を過ぎて、藩主がすべて引退している今
もう争う必要もありませんでした
もうすでに、4人は、心の中では
和解していたのです

こうして豊臣秀頼政権は誕生しました
首相は、豊臣家を一旦隠居した豊臣秀頼
副首相に、徳川家康、大名担当大臣に石田三成
土木担当大臣は、経験のある加藤清正が再び
財務担当大臣は、財務省の役人の村田一政
小西行長は、外交担当大臣になったのです

また他にも、御所・朝廷・公家省
寺社省、宗教省は、省の役人から
豊臣秀頼首相達で、選んだ人物がなりました
秀頼は、有能な役人達と面談して
その人物のやりたい事を聞いて
選びました
若手の役人でも、平気で選びました
外部の人物だけでなく
一番分かっている役人の中で
やる気のある、有能な人物を
大臣にするのもいいと考えていたのです
こうする事で、省に蔓延る官僚システムに
大きな刺激を与える事を
豊臣秀頼首相は、無意識で狙っていたのです

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687号「真田幸村首相の大活躍」

今が、ますます幸せだと気がツクには687号
真田幸村首相の大活躍
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徳川家康首相は、慶長13年(1608年)まで
二期、8年間、首相を
名首相として務めました

しかも、二期目の時には
再び、首相に立候補した石田三成に
大勝した上で、首相になりました
首相の任期は、2年間、8年間までと決められているので
徳川家康は、与えられている首相のお役を
精一杯果たしたのです

また、徳川家康の後は
豊臣秀吉の指名で
唯一、一番、最初に
たった一人だけ
豊臣家から送り出された議員
真田幸村でした
真田幸村は、徳川政権で
財務大臣を担当した
大久保長安を破って
首相になったのです

そしてその後、真田幸村は
今後の日本を大きく発展させた
名首相であり
最後の戦国時代の首相と呼ばれる人物になりました

何故なら、1608年の日本の大きな問題は
ヨーロッパ諸国との対立でした
と言うのも、真田幸村首相の時に
最初の議員、一期生は、3期、12年間の議員の任期を終えて
それぞれの道を歩き出す事ができました
議員には、自分を推薦してくれた
大名からの独立も保障されていて
まったく自由だったのです

だから、議員達は、任期が終えた後
元々の藩に戻って、重職についたり
他藩に使えたり
商人になったり
豊臣家の作った、議員を教育する学校の教師になったり
各所の役所に勤めたり
次の首相候補として勉強したり
いろんなお役についたものがいましたが
海外に、行ったものもいました
東南アジアにある日本町に移ったり
日本の派遣団の一員として
ヨーロッパに、行ったものもいました

真田幸村の要請で
慶長遣欧使節として、元12名の議員が
スペイン、ポルトガル、ベニチア、ローマ法王、
オランダ、イギリス、フランスまで
日本国の代表として
各国の代表と会い、議論しているのです

だから、日本の国は
日本人の多くは、ヨーロッパの諸国や
アジア諸国の事を
よく理解していました
ヨーロッパ諸国に
同じ黄色人種のアジアの国が、次々と植民地にされ
奴隷のように、支配されている事もよく分かっていて
常に、危機感を持っていたのです

なので、真田幸村首相は
外国の侵略に対しても
大きな、長い視点で
対処していました
ヨーロッパ諸国が、原理、原則で
行動する事を理解して
日本海軍を強化すると
日本の北方に、目を向けると
北海道だけでなく、樺太、北方領土、千島列島にも
日本人を、積極的に移住させようとしましたし
南方の島、沖縄、小笠原群島だけでなく
北マリアナ諸島のグアム、サイパンなどや
ミクロネシア連邦にも
日本人を移住させました

実際に、日本人が住む事で
日本の領土だと言う事を
物証を持って、
実行支配する事で
ヨーロッパ人に、認めさせようとしたのです

しかも、マリアナ諸島とカロリン諸島では
現地の住民、
チャモロ人も保護する形で
日本が支配する事で
1595年に、スペインが、ヨーロッパ諸国に
マリアナ諸島とカロリン諸島がスペインの領土と宣言した事を
覆らせたのです

ですが、そうする事は、世界を支配しているスペインとの対決を産みましたが
真田幸村は、スペインが、ヨーロッパ諸国でも
各地で戦っている事を知って
今なら、問題ないと判断したのです

しかも、真田幸村首相は
二期目の首相の最後に
白人から、フィリピン、アジア人を
解放するという大義を抱えて
スペインと戦争して
フィリピンを、占領してしまいました
日本は、黄色人種の中で
唯一、白人の脅威になったのです

というのも、スペインがフィリピンや
南米諸国で、どんな事をやっているかは
日本人が知る事になっていました
それで、真田幸村首相は、立ち上がりました
自国の事だけを考えるなら
スペインが、フィリピンを支配するのも
ほっとおいたら、いいかもしれませんが
そんな事をしたら、いずれ、ヨーロッパ諸国は
他のアジア諸国を、植民地にして
日本に迫ってくる事が
分かり切っていたのです

しかも、フィリピンを支配するスペインとの戦争は
豊臣秀吉が、朝鮮で戦った朝鮮出兵とは違って
人民と戦うものではありません
朝鮮出兵では、朝鮮人の抵抗で
うまく行きませんでしたが
フィリピンなら、現地人を敵にしないようにして
白人のスペイン人と戦えば
十分に、勝算がありました
真田幸村首相は、そこは十分に計算していました
フィリピンの戦力を十分に調べて
日本軍が、奇襲で攻めたら
必ず勝てると言う確信がありました
この当時の日本の軍の力は
アジアでは断トツだったのです

それで、真田幸村首相は
日本海軍30隻、1万5千人
日本陸軍1万5千人
他の大名の力は借りずに
日本軍全軍の力だけで、マニラに攻め込みました
日本が、上陸する3時間前に
宣戦布告すると言う
まったくの奇襲で、呆気なく
マニラは陥落して
日本は、スペイン人を
ここから追い出したのです


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686号「名首相 徳川家康」

今が、ますます幸せだと気がツクには686号
名首相 徳川家康
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
徳川家康首相が、実施しようとした
会津、上杉家征伐問題は
徳川家康首相が、議会で、撤回を表明し
議員に、謝罪した事で解決しました

しかも、徳川家康首相は
議会が求めていた
自分の側近で、参謀役だった
本多正信宗教担当大臣を
早々と辞職させました
責任を取らせて辞めさせた後
後任は、石田三成の了解を得た上で
石田内閣で宗教担当大臣を務めた中村一氏にしました
そうする事で、石田三成に、和解のサインを送ったのです

なので、議員達も、納得して
徳川首相に対して
首相解任動議の提出は
取り止めにしました
250万石の元藩主だった
徳川家康を、これ以上
追い詰める事はないと判断しました
急速に、徳川家康首相に対する非難は
なくなったのです

だから、この問題は、すぐに解決しました
徳川家康は、優れた政治力で
この難局を乗り切ったのです

また、この会津・上杉征伐問題以降
徳川家康は、大きく変わりました
今まで、自分に憑いていた
ものが取れたかのように
徳川家康は、首相として
本気で、活躍するようになったのです

というのも、徳川家康は
首相になった事で
亡くなった豊臣秀吉が考え
石田三成が、作り上げた
新しい政の仕組みでは
大名を取り潰す事は
不可能だと言う事がよく分かりました
例え、1万石の小大名でも
余程の事をしないかぎり
大名を潰せません

ましてや、首相や豊臣家、大名担当大臣が
陰謀を仕組んで、大名を潰す事は不可能です
税を、政府に治めている大名に対しては
豊臣家からも、形は別としても
事実上は独立して
豊臣家でも、政府でも
藩主は変える事はできても
家、大名は、潰す事は、無理なのです

だから、戦国の乱世を生き
豊臣秀吉からも、徳川家を守り抜いた徳川家康は
250万石と言う
豊臣家よりも、領地が多い徳川家が
自分が死んだ後も、家を守れる事はない
必ず、豊臣家から睨まれて、邪魔になって
いつかは、陰謀で、潰されると言う思いこみ、信念を
やっと綺麗に、捨て去る事ができました
腫れものがとれたように
消えてしまったのです

それで、徳川家康は、天下取りの野望を
すっかり忘れました
徳川家康が、多くの大名を潰してまでも
天下を取ろうとしたのは
あくまでも、自分が、天下を取らないと
子孫が、豊臣家から潰されると
思っていたからで
自分が、天下を欲しかったからではなかったのです

それで、徳川家康は、徳川家は、今後も続くと確信できると
もう、天下を取る情熱が無くなりました
いえ、今のこの政の仕組みを守り、発展させる事が
徳川家を守る事だと、徳川家康首相は悟ったのです

なので、徳川家康は
上杉家征伐の問題が解決すると
首相として、日本の国の為、民の為
豊臣家の為に
自分の持てる能力を最大限使いました
2度と、野望は抱かなかったのです

その後は、歴史に残る、名首相になって
戦国時代を生き残った、さすがは
ナンバー2と言われる人物になりました
たぬき親父と言われるような事はなくなり
21世紀の時代でも、日本人から愛され、尊敬される
摂政となったのです

また、そんな徳川家康の政は
外交では、朝鮮国、明国と和解し
使節団を、交互に派遣する関係に発展させた事から始まり
ヨーロッパ諸国とも
自分や内閣の外交顧問として採用した
外国人のウィリアム・アダムズとヤン・ヨーステンの意見を聞きながら
日本国と、ヨーロッパ諸国との貿易を発展させる事でした
徳川家康首相は、日本の為にどんどん、貿易を振興させようとしたのです

何故なら、他の戦国大名も
諸外国との貿易を望んでいる以上
国を閉ざす、鎖国制度なんか、考えられませんでした
そんな事を言っても、議員達の承認を得られない事は
分かり切っていました
徳川家康首相は、自分が天下を取った後
徳川家を守る為だけなら
将来、鎖国制度も考えられると思っていましたが
日本の首相としては、ありえない事を
意識していたのです

ただ、そんな徳川家康首相も
ヨーロッパの宗教、キリスト教に関しては
認めるつもりはありませんでした
豊臣秀吉は、キリスト教は、ヨーロッパ諸国が
日本やアジア諸国に、侵略する手段だと看破して
弾圧して、厳しく禁止したように
徳川家康も、キリスト教は、邪教で
日本から一掃しないといけないと思っていたのです

しかし、そうは言っても徳川家康首相にも
日本からキリスト教を一掃する事はできませんでした
徳川家康首相は、秀吉がしたように
キリシタンの弾圧、虐殺をしようとしたのですが
大名の中には、小西行長のような
元キリシタン大名がいて、反対していましたし
議員の中にも、禁止は当然としても
日本国民を、処刑する事には
反対する議員も、たくさんいました
徳川家康は、キリスト教の信者を見つけると
牢に隔離して、キリスト教を止めさせたり
従わない人物は、外国に、送る事はできても
ヨーロッパ諸国との貿易の関係もあって
キリシタンを弾圧する事だけは避けたのです


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685号「会津・上杉征伐」

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会津・上杉征伐
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
慶長7年3月頃、徳川家康が、首相になった1年半後
徳川家康の密かな野望実現する為に
宗教担当大臣で、参謀である本多正信が
遂に、ある策を考え出しました

それは、会津120万石の大大名である上杉家が
直江兼続に命じて新たな城、神指城の築城したり
軍事力の増強に乗り出したりしていて
謀反を企てていると言うものでした
本田正信を、それを、大名である、最上義光や堀秀治に
大名担当大臣である浅野長政だけでなく
緊急の事として、直接、徳川政権に報告させたのです

また、それで、徳川家康は
待っていましたと
その問題に、介入しました
上杉家の謀反の問題を
内閣の問題としてとらえたのです

しかし、それに対して
大名担当大臣の浅野長政は
大きく反発しました
それは、自分の担当する問題であって
徳川政権が係わる問題ではないと言ったのです

だけど、徳川家康首相は
納得しませんでした
戦の事は、自分に任せて置け
もし、上杉家が、謀反を企てているなら
早く対処しないといけないと言う事で
わざと、上杉家を挑発するような事をしました

浅野長政大名担当大臣に
使者を派遣して
景勝の軍事力増強を咎め
異心が無いのであれば、
誓書を差し出した上で上洛し、弁明するべきと言って
浅野長政担当大臣が、越権行為だ
自分に任せて欲しいと断ると
上杉家から議員になった4人の1人
藤田信吉議員を、4月1日上杉家に派遣して
首相自ら書いた書状も渡させました
上杉家を守る為に、必死で、家康との関係修復に奔走していた
藤田信吉議員をうまく利用したのです

しかし、上杉公以来の武家の名門である上杉家は
そんな藤田信吉議員の行為に怒ると
藤田信吉議員と上杉家との関係の断交を宣言しました
直江兼続が、上杉景勝に、進言したのです

また、直江兼続は、書状を書いた徳川家康首相に対しても
5月3日に、「直江状」と呼ばれる弾劾状を届けました
大名に対して、何ら権限がない首相が
浅野長政担当大臣を通さずに
謀反扱いはおかしい
上杉家は、浅野長政担当大臣としか
話をしないと言った
長い、家康を糾弾するものを送ったのです

それで、それを読むと
徳川家康首相は、わざと激怒すると
会津征伐を決断しました
自分が、軍を率いて
上杉家を成敗すると
他の大名や、議会に
深刻な顔で、通告したのです

しかし、徳川家康首相は、
内心は、自分の挑発に
上杉家なら、乗ってくれると思っていましたが
その策が、見事に成功して
大喜びでした

これで、最終的には
反対する議会を無視してでも
強引に、軍を出して
上杉家を成敗したら
他の大名も恐れて
議会の制度も、ないがしろにできる可能性がありますし
何よりも、この決定に
浅野長政や石田三成が、激怒して
上杉家を守る為に
自分に軍を向けてくれる事を期待していました

その時には、上杉家との戦を中断して
取って返して、自分に逆らう大名を潰して
議会も潰すつもりでいたのです

だけど、そんな徳川家康の試みは
成功しませんでした
突如、家康に、会津、上杉征伐の承認を求められた
議会は、大混乱しましたが
徳川家康も、予想はしていましたが
期待していた、半分の賛成は得られませんでした

特にその中でも
上杉家の藤田信吉以外の3名の議員は、反発すると
他の議員に必死で、反対の説得に回りましたし
真田幸村を中心とした、豊臣家からの議員も反発しました
議会は、上杉家征伐に反対する議員の意見で
殆どの議員達から、賛成を得られない雰囲気だったのです

しかも、浅野長政大名担当大臣は、徳川家康の行動に
本当に腹を立てると
公然と、上杉家の味方になりました
同じ内閣なのに、徳川家康を非難して
上杉家征伐に承認しませんでした
大名担当大臣の承認なしで
他の大名に、軍を向ける事は
法に、反する事になったのです

その上に、豊臣家の相談役、石田三成も
浅野長政担当大臣を、当然支持しました
石田三成は、今まで、徳川政権に対して
ただ、見守っているだけでしたが
この事には、公然と動きました
徳川家康が、豊臣家の官僚化した家臣を使って
密かに、豊臣家の承認得ようとしましたが
石田三成が、その試みを叩き潰しました
豊臣家も、会津、上杉家征伐に反対で
徳川家康は、ここでも、承認を得られなかったのです

でも、徳川家康首相は
諦めませんでした
豊臣秀頼は、8歳になります
後2年、自分の首相の任期の頃には
10歳で、小さいなりにも、自分の言葉で話せるようになります
そうなったら、自分の野望は
実現するのは、本当に難しくなります
今しか、チャンスはないと
決死の覚悟だったのです

だから、徳川家康は、少し思案にかける
日本軍担当大臣、福島正則を動かそうとしました
日本軍を何とか、上杉征伐の軍に加えようとしたのです

だけど、豊臣家恩顧の福島正則は
辞任覚悟で、反対しました
徳川家康の心情も理解していた福島正則ですが
豊臣家の承認がないかぎり、軍を動かす事はできないと言う法は
命がけで守るつもりでした
徳川家康が、頼んでも、
いくら、大阪城にいる石田三成が、憎くても
日本軍を、一兵も動かそうとはしなかったのです
いえ、それどころか、同じ大臣の加藤清正も
福島正則の味方をして
加藤清正の仲介で、敵対していた福島正則と石田三成は
いつの間にか和解して
共同して、徳川家康首相と戦う協定まで結んでしまったのです

それで、家康は、最後の手段として
関東の徳川家を動かそうとしました
自分の跡を継いでいる徳川秀忠に命じて
徳川家、250万石の全軍を、会津に向けるつもりでした
他の大名は、豊臣家や、大名担当大臣の承認がないかぎり
首相の命令でも、動かないのであれば
反対される議会に、賛成を求めずに
徳川家単独で、上杉家と、戦をしようとしたのです
何としても、戦を起こしてしまえば
後は、自分の思った事になると思ったのです

でも、今まで、自分に逆らった事もなかった徳川秀忠が
その自分の命令に、初めて逆らいました
徳川家の家臣と図って
父である徳川家康の命令を拒否しました
徳川秀忠は、正室である江に頭が上がらず
家康が、隠居して、首相になっている内に尻にひかれていました
その江は、今度の家康の試みが
日本に大きな戦を仕掛けて、行く行くは、豊臣家を滅ぼして
天下を取るつもりだと言う事が分かっていました

それで、秀忠を説得して、徳川家康首相の行動は
徳川家を滅ぼす行為だと言って断らせました
江は、大阪城にいる、豊臣秀頼の母、
姉である淀君を滅ぼす行為は、絶対に反対だったのです

なので、ここ、ここに至って、さすがの徳川家康首相も
とうとう諦めてしまいました
上杉家からの議員は、もし、上杉征伐するなら
自分達は、抗議の切腹をすると言っていましたし
密かに、議員達に、
徳川首相が、逆らえば、議会を潰すと圧力をかけても
武士でもある彼らは、屈服しませんでした
首相に、首相解任動議を出す動きが広がっていて
3分の2の賛成票が集まる事は
もうすぐ確実でした
議員達は、同じ仲間の上杉家の議員の行動に
同情的だったのです


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
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684号「徳川首相の活躍」

今が、ますます幸せだと気がツクには684号
徳川首相の活躍
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
徳川政権が誕生して、もうすぐ1年になろうとしていました
その間、家康は、無難に、政権を運営しました
石田政権の時の課題だった、政府の財源不足の問題も
家康が、約束通りに、徳川家の税収の10パーセントを
政府に納税した事で
大幅に、税収は増えましたし
福島家、加藤家も、続きました

しかも、豊臣家では、武断派と呼ばれ
反石田派の大名になっていた
黒田長政、細川忠興、池田輝政、加藤嘉明達も
同じ武断派の仲間、加藤清正、福島正則の要請で
政府に、税収を入れる事に同意しました
政府の財源は、大きく増えて
豊臣家から依存しなくてもよくなったのです

と言うのも、大名家にとっては
決まった額が、はっきりしない
豊臣家に対する御奉公よりは
10パーセントと決まっている
政府の税収の方が、遥かにいいです
そうすれば、今後、計算して
藩を運営する事が出来るのです

その上に、豊臣家の御奉公は
今後も、発生していました
と言うのも、家康との首相選挙に負けた石田三成は
豊臣家の相談役に入りましたが
事実上、まだ幼い秀頼の代わりに
石田三成が、豊臣家を動かしていました
他に、豊臣家では、官僚はいても
政治を動かせる有能な人物がいなかったのです

しかも、そんな石田三成は
今後も、豊臣家の御奉公を
緩める事はなさそうでした
何故なら、徳川家康を困らせるなら
大名に対して、豊臣家の御奉公を緩めて
徳川政権に、大名から
納税が入らないように
嫌がらせ、することもできましたが
石田三成は、そんな性格ではありませんでした
早く、大名が、すべて、政府に納税をする為に
わざと少し過酷にいるつもりでした
去年、大名の領地、1万石に付き
二つの神社を作るように、命令したように
今度は、何を言い出すのか
大名達も、恐れていたのです

それで、反石田派の大名は
石田三成には、意地にも
協力したくなかったので
政府に、税収を入れようとしませんでしたが
徳川政権になった事で
どんどん税収を治めるようになったのです

また、それは、他の大名も同じでした
どの大名に取っても
政府に、税収を治める事で
豊臣家との主従の関係は切れなくても
税の関係は切れる事は
トータルのコストで考えたら
ものすごく得だったのです

それに、政府に納税する事で
他にも、豊臣家から
家臣としては、余程の事がないかぎり
干渉はされないと言うのは
独立自尊心がある大名にとっては、魅力的な事でした
豊臣家からも、同じ大名として扱われるのです

それで、上杉家、毛利家、宇喜多家などの大藩も
徳川政権になってからは、納税をするようになりました
石田派、反石田家、関係なく
どの大名も、納税するようになって
今や、していない藩は、十万石以下で、10家もない
ごくわずかになっていました
それらは、すべて、徳川家康首相の手柄となっていたのです

と同時に、外交でも
徳川家康首相は、活躍していました
と言うのも、石田三成の時には
朝鮮出兵が挫折した後の
朝鮮国、明国との関係は改善できませんでした
石田三成が、朝鮮に出兵した権力者
秀吉の側近だった事が影響して
朝鮮国、明国は
聞く耳を持たなかったのです

しかし、徳川家康首相は
朝鮮に出兵していない上に
秀吉とは、敵対した事もある
関東の大大名と言う事で
関係修復は、進み始めました

朝鮮国、明国にしても
もう二度と、日本に出兵はして欲しくなかったので
徳川家康政権になってからは
友好関係に、動き出したのです

だから、徳川政権は
順調に進んでいました
やすがは、家康公と言って
多くの議員からも支持されていて
政権は、安定していたのです

しかし、徳川家康は、内心は焦っていました
自分の隠された野望
天下取りに対しては
まったく進展していなかったからです

何故なら、首相になって
大きな権力を持ったと言っても
その権力は、五大老筆頭とは大きく違っていました
五大老だったら、前田利家がいない今なら
他の前田家、毛利家、上杉家、宇喜多家など
五大老の会議の時にいない、国元にいる時なら
自由にできましたが
首相は違いました

首相になっても
豊臣家には、まったく介入できませんでしたし
他の大名に対しても
全然、自由にできませんでした
大名担当大臣を通してでないと
何もできなかったのです

その上に、大名担当大臣は
豊臣家に任命権があって
首相には、解任する権利もありませんでした
徳川家康は、大名担当大臣の浅野長政に対して
何もできなかったのです

しかも、何事を決めるにも
議会で、議員の過半数の賛成票が必要でした
賛成票が、少なかったら
何もできないのです

その上に、議員の三分の1の要請があったら
首相解任動議を出す事は可能で
徳川家康首相も、簡単に解任されて
再び、4年間の人気の残りの間
首相になる人物が、首相総選挙で選ばれる事になっていました
徳川家康首相も、無茶な事をしたら
辞めさせられる事は、常に意識していたのです

ただ、そうは言っても
今のところは、今度新しく入ってくれた
徳川家の議員8人を中心に、自分を応援してくれる議員や
選挙の時に支持してくれた議員達で
過半数以上の議員から
支援されていたので
徳川政権は、安定していました

でも、議員に、締め付けはなく
いつでも離れる事が可能なので
下手な事はできませんでした
同志の議員が、半分以下になる事も
すぐだったのです

それで、徳川家康首相は、自分の野望を実現する為の
手段を見つける事ができませんでした
なので、秀吉に仕えていた時のように
たぬきぶりを発揮して
野望などないように
首相の職務に励んでいたのでした


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
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683号「石田三成、関ヶ原の選挙で敗戦する」

今が、ますます幸せだと気がツクには683号
石田三成、関ヶ原の選挙で敗戦する
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
慶長5年9月15日
日本国で初めて行われた
首相総選挙で、勝利したのは
徳川家康でした
徳川家康は、最初の下馬評を
脅威の粘り腰で
見事、暫定とは言え、首相だった
石田三成を破りました

票は、徳川家康が、86票
石田三成が、84票と言う僅差でした
たった一人の議員が、石田三成を支持してくれたら
石田三成は、同票と言う事で、負けずに
もう一度、決戦投票する事も出来ました
本当に、悔しい負け方をしたのです

しかし、それは、石田三成陣営には
信じられない事でした
最初の、石田三成陣営の票読みでは
95票は取るはずでした

それを覆したのは
徳川家康が、決戦投票の前日、9月14日に
共に、選挙で戦った、加藤清正、福島正則には
加藤清正には、土木担当大臣、福島正則には、日本軍担当大臣として
活躍して貰うと言う奇策を討ち出した事も大きかったです

と言うのも、徳川家康は、二人に、内々に大臣を要請して
福島正則は、日本軍担当大臣以外は、ならないと言い
加藤清正も、日本軍担当大臣は、福島正則の譲って
土木担当大臣の重職を要求していました
徳川家康は、それを、即座に、受け入れたのです

それで、これによって、議員の中には、加藤清正、福島正則が
徳川政権に入るのであれば
徳川家康も、豊臣家に対して
露骨な事はできないだろうと思いましたし
豊臣家恩顧の大名出身の議員の中には
自分は、加藤清正、福島正則を支持するのであって
豊臣家に対しての裏切りとは思わずに
徳川家康に1票を入れた議員もいました
要するに、石田三成は、徳川家康に比べたら
人望がなかったのです

ですが、それよりも
最大の勝因は、石田陣営に
裏切りがあった事でした

石田三成を応援していた
小早川家からの議員や
吉川家からの議員が
土壇場で裏切り
その呼びかけに、脇坂家、小川家、赤座家、朽木家の
4家の出身の議員が、応じた事が原因でした

本多正信は、徳川陣営だった二人を
わざと、石田陣営に入れていて
最後の最後に、裏切らせたのです

と言うのも、本多正信は、徳川家康公は、首相になったら
天下を取るつもりだけど
今、ここで徳川家康を支持してくれた家は
絶対に、潰さないと約束すると
以前から、小早川家と吉川家の議員に言って
内応させていましたが
最後の最後、決戦投票で、負けそうな時
小早川家と吉川家の誘いで密かに集められた
脇坂家、小川家、赤座家、朽木家に対しても
土壇場に、その事を言った脅しに効果がありました

そう言われた議員は、最初は、反発しましたが
自分の出身地の大名が、取り潰される事を恐れて
投票してしまいました
議員になっても、自分を選んでくれた大名の家臣として
家を守りたいと言う気持ちは大きかったのです

でも、多少卑怯な事をしても
勝てば、すべてでした
議員に賄賂が貰っている訳でもなく
不正はありませんでした
徳川家康は、見事に首相になったのです
石田三成は失意の内に、議会から去ったのでした

また、世の人達は、この石田三成の僅差の負けを
石田三成の領地にある中山道、北国街道、
伊勢街道が交差する要衝で
西と東を分けている場所
関ヶ原に例えて
関ヶ原の選挙の敗戦と呼びました
関ヶ原の地に例える事で
もう少し石田三成が、東に行っていたら
後、2票取っていたら
徳川家康に勝っていた事を
善戦を称えて表現したのです

しかし、徳川家康が、見事に
首相になったからと言って
すぐに、自分の隠された野望を出す事はできませんでした
石田三成や石田三成内閣の各大臣は
政府を去ったと言っても、戦で無いので
命は取られませんでした
石田三成は、首相を辞めた後も、石田藩には戻らず
隠居して、嫡男、重家に任せると
淀君に相談して
豊臣家の相談役となりました
徳川家康から、あくまでも
豊臣家を守ろうとしたのです

また、戦国担当大臣は、徳川家康首相に指名権はなく
豊臣家にあったので
引き続き、石田政権と同じ
浅野長政が担当する事になりました
首相総選挙の時には、浅野長政は
中立を保っていましたが
石田三成と同じように
豊臣家を守る立場だったので
徳川家康の敵になるのは間違いなかったのです

しかも、選挙の土壇場で、加藤清正、福島正則に
土木担当大臣、日本軍担当大臣に要請しているので
徳川家康は、二人を大臣にしました
約束通りに、福島正則を、日本軍担当大臣に、
加藤清正を、土木担当大臣にしたのです

だけど、その二人が、今後、どんな動きをするかは
徳川家康にも、分かりませんでした
豊臣家の恩顧の大名で、秀吉の子飼いの家臣なので
豊臣家に敵対したら、反旗を翻す事は確実でした
徳川家康は、内閣に爆弾を抱えていたのです

でも、それでも徳川家康内閣は誕生しました
徳川家康は、首相、浅野長政は、大名担当大臣
加藤清正は、土木担当大臣、徳川家臣の大久保長安は、財務担当大臣
徳川の家臣で、南禅寺の住持であった金地院崇伝は外交担当大臣
徳川の家臣で、林罹山は、御所・朝廷・公家担当大臣
南光坊天海は、寺社担当大臣、本多正信は、宗教担当大臣になり
福島正則は、日本軍担当大臣になりました
後は、外国人のウィリアム・アダムズとヤン・ヨーステンは
外交顧問となったのです

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
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682号「首相総選挙 石田三成と徳川家康の戦い」

今が、ますます幸せだと気がツクには682号
首相総選挙 石田三成と徳川家康の戦い
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
慶長5年8月1日から始まった
日本の第1回首相総選挙は
激しい選挙になりました

というのも、圧倒的に有利で
不戦勝で、勝利するとさえ思っていた
石田三成派の議員は
7月中頃から徳川家康、福島正則、加藤清正の名前が出ると
大きく狼狽えました
まさか、大名の元藩主が立候補するとは予想もしなかったのです

それで、慌てて、露骨に、議員に圧力掛けて
何とか、議員に、推薦を辞めさせようとしましたが
返って、議員の反発を受けて
徳川家康、福島正則、加藤清正陣営に、入れてしまいました
3人は、立候補を実現させて
石田陣営は、完全に、奇襲攻撃を受けたのです

しかも福島正則、加藤清正は
今までの、石田三成の恨みが爆発したかのように
激しく、石田三成を批判しました
最初は、選挙になれていないのか
石田三成の個人攻撃をしたのです
それで、石田三成は、同じ豊臣家の大名からも
こんなに人望がないのかと
改めて分かったのです

でも、それに対して
徳川家康は、石田三成個人の非難をせず
あくまでも、政策で、対抗していました
特に、石田三成の政策
豊臣家が、御奉公として
各大名に、1万石について
二つの神社を造るように命令した事も
8月18日に、全国一斉の豊国祭りを開催する事はいい事だが
早急しすぎて、大名の負担が大きすぎた
すべては、裏に石田三成がいる
という事で、攻撃していました

その上に、自分が、首相になっても
秀吉の遺言である
大名同士の戦は絶対に起こさない事や
石田三成は、自分に野心があって
天下を取るつもりなどと言っているが
そんな事は馬鹿げた事だ
と強く強調すると
自分が、首相になった時には
徳川家も、税を納める事も約束しました

石田三成政権では
納税する気は起きなかったし
それは、他の大名の多くも同じだが
自分は違う
他の大名も、自分が説得したら
きっと、税を納めるだろうと
魅力的な事を言っていました
徳川家が、税を払うという事は
財源が限られている今の政権には
とても魅力的な提案だったのです

だから、徳川家康の支持は
どんどん議員達の間で広がりました
戦国の乱世を生き、
小牧・長久手の戦いでは、豊臣秀吉を破り
五大老の筆頭となり
250万石の大大名の徳川家康が
若手の議員に対しても
自ら、頭を下げて、頼んだ姿は
議員達を感動させたのです

また、それに対して
石田三成は、福島正則、加藤清正の個人攻撃の挑発に
引っかからないようにしても
ついつい、釣られて、個人攻撃してしまいましたし
徳川家康に関しては
敏感に反応しすぎて
徳川家の狸おやじは
天下を狙っている
首相になったら
議会を乗っ取って
大きな戦を、起こすと言う事から
頭を離す事はできませんでした

どうしても、徳川家康の言う政策に
対抗する事が出来なくて
遅れを取ってしまい
器の違いを、見せてしまいました

特に、8月18日、秀吉の命日に
秀吉の遺言で行われた
全国一斉の豊国祭りは
あくまでも、豊臣家の御奉公で合って
自分は、裏から、大名達に、過酷な事を
豊臣家に命じてしていないという
しらじらしい嘘を言って
返って、議員達を失望させたのです

しかし、それでも、石田三成は有利でした
徳川家康は、余りにも、偉大すぎて
政権を取った時に、実際に何をするか
未知数で、不安がありましたし
福島正則、加藤清正は、武将としては優れていても
政治家には、まだ、慣れていませんでした
途中から、石田三成の個人攻撃を止めて
政策と言ったものを出しましたが
石田三成陣営から攻撃されると
ぼろが出てしまったのです

そしてその中で、限られた
170議員達で
1か月間と言う長い時間をかけた
第1回目の首相総選挙が、9月1日に行われ
石田三成は、豊臣家の代表、真田幸村や政権の各大臣や
上杉家の家老、直江兼続
大名の佐竹義宣、宇喜多家秀家、小西行長などにも
密かに、応援を受けて
75票を獲得して1位になりました

その後に、徳川家康が、52票を獲得し
加藤清正が、28票、福島正則が、15票を獲得して
まずは、福島正則が、落選となったのです

でも、この結果は、石田三成を動転させました
石田三成は、何とか、第1回目で
過半数を超える事が出来ると思っていたのです

だけど過半数の85票を得る事はできなかったので
首相総選挙は、まだまだ続きました
石田三成陣営も、徳川家康陣営も、加藤清正陣営も
必死に戦って
9月5日に、第2回目の首相総選挙が行われ
石田三成は、80票、徳川家康は、59票、加藤清正は31票を
獲得しました

なので、今度の第2回目では、加藤清正が落選しましたが
石田三成も票を、少し増やす事ができました
心配された福島正則の票は
徳川家康陣営だけに流れず
石田三成は、後、5票以上で
勝利する所まで行ったのです

そして9月15日までの10日間
石田三成と徳川家康は、決勝選挙という事で
激しい戦いをしました
石田三成も、徳川家康も
加藤清正を支持した議員に対して
1対1で会って、自分の支持を訴えたり
石田三成と徳川家康が
直接、討論すると言った対決もしました
何しろ、170票しかないので
選挙は、本当に細やかに行われたのです

また、そんな第1回首相総選挙ですが
殆どの人の予想は
石田三成の辛くも勝利と言ったものでした
加藤清正を支持した議員の中には
反石田三成の大名出身の議員も多くいましたが
豊臣家恩顧の大名なので
徳川家康を支持する事はできないだろうと思っていたのです

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
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681号「第1回首相総選挙」

今が、ますます幸せだと気がツクには681号
第1回首相総選挙
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
慶長5年3月、二カ月前から
豊臣家を中心とした
抽選で選ばれた12大名家が選んだ1名ずつの家臣
村上家、前田家、稲葉家、川尻家、片桐家、吉川家、
中川家、秋月家、木下家、津田家、佐野家、石川家
12人と議長を兼ねた豊臣家の代表で
議論されていた
大阪城での議員管理委員会の
結論は出ました

また、それは、全国の大名を驚かせるものでした
議員管理委員会は
全国各地の大名家からも
意見を聞いて、石田三成が、暫定で首相になった事を認め
それは、仕方がなかった事だとしても
議員達の首相総選挙で
正式に、首相を決める事を求めました

慶長5年7月1日から7月末までに
議員20名推薦による
首相の立候補者が決められ
その立候補者達で、首相選挙を始め8月1日から始め
9月1日に、完全な無記名方式で、第1回投票をして
そこで、議員の過半数を得る人物が現れるまで
最下位の人物は、落選して
最終的には、9月15日までに決着して
新しい首相を決める事が決まったのです

しかも、その首相選挙に関しては
170名の議員に対しては
一切の賄賂などの汚職は
厳禁と言う事も
強く示されました
判明した時は
議員資格剥奪だけでなく
切腹も言い渡されたのです

また、それに合わせて
議員選挙制度改革の問題に関しても
9月15日に、首相が決まった後
1週間後に
今の暫定の議員の中で
抽選が行われて
3分の1は、退任する事になりました

その代わりに、当初の予定通りに
大名の石高と都市に応じて
各大名が選んだ議員が
3分の1程、選ばれる事も
決まりました

後は、当初の予定通りに
4年事に行われ
議員の任期は、12年間とされたのです

と、同時に、その議員を選ぶのも
議員になる2年前に選ばれて
議員管理委員会が作った教育機関で
事前に、徹底的に教育される事も決まりました

と言うのも、石田三成首相や大臣などの政府側からは
大名が選ぶ議員は
自藩の利益を考える人材を選ぶと言う問題点を指摘され
議員管理委員会は、それを認めて
議員は、藩ではなく、国家の事を考える事から始まって
いろんな知識を教育する事が必用だと言う事になりました

しかも、その中には、諸外国の事や
諸外国の言葉、仕来たりなどもありました
議員達は、京都の伏見城近くに
一か所に集められ、徹底的に英才教育される事になったのです

しかし、そんな議員選挙委員会の決定にも
石田三成首相は、別段驚きませんでした
事前に、議員管理委員会の考えは
議長役をしている豊臣家から報告されていて
石田三成首相は知っていました

なので、これは石田三成首相も納得の上での事でした
石田三成は、後2年後に
首相選挙が行われるよりも
今、行われた方が
自分達にとっては、得だと考えていました
反石田三成派の大名も、今なら体制が整っていないし
議員達の、自分に対する支持も
2年後よりは、今の方があります

その上、何よりも、首相総選挙の意味も
反石田家の議員、大名も、今なら分かっていないと
石田三成は、考えて油断していました
今だったら、確実に勝てると言う自信があったのです

しかし、7月1日に
首相立候補者の受付が始まると
7月1日に、早々と立候補した石田三成以外には
石田三成派の議員達の圧力もあって
立候補ものが現れなくて
石田三成の不戦勝だと思っていた
首相総選挙は
誰もが予想していなかった事が起こりました

何と、7月7日に、
徳川家康が、突然、徳川家を隠居して
家督を、息子、秀忠に譲る事を表明すると
それを豊臣家に提出して後
徳川家の唯一の代表
本多正信の嫡男、本多正純を中心とした
徳川家と親しい大名の議員
20人以上の推薦を受けて
7月21日に、首相に立候補して
全国の大名達を驚かせたのです

また、これは
徳川家康の一番の側近である
本田正信が、必死で考えていた策でした
天下取りを諦めていない主君、家康の気持ちを
よく分かっていた本田正信は
必死で、政府の制度を勉強し
首相を決める首相総選挙が行われる事を
じっと待っていました
議員管理委員会の方針も
ある程度分かっていて
もうすぐ、首相総選挙がある事も
予想していたのです

だから、本多正信は
徳川家康にも
それがあるまでは
石田三成に対しても
刺激するような事はせず
耐えに、耐えるように言っていました
徳川家康が、首相に立候補するなど
まったくおくびにも出さなかったのです

しかも、本田正信の作戦は
実に巧妙で、
事前に、息子の本田正純に
石田三成以外の人物を探して
とにかく選挙しないといけない
石田三成野不戦勝だけは避けないといけないと言って
多くの仲間を集めた後
徳川家康公は、どうだと打診して
多くの議員を驚かせ
もし、家康公が、立候補したら
推薦してくれるかと言って
承認を得たものでした
本田正純は、見事に、この作戦で
70名もの議員を
徳川家康陣営に集めたのです


しかも、反石田派の加藤清正、福島正則にも
同じように、家を隠居させた後
その70名の議員の中から
20名の議員を振り分けて
推薦を集め
3人が、次々に
立候補しました
7月25日に、福島正則
7月末日に、加藤清正が
立候補しました

本田正信は、選挙も戦も同じものだと言う事で
その優れた手腕を、主君の為に発揮したのです


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680号「石田三成政権の難問 財政問題」

今が、ますます幸せだと気がツクには680号
石田三成政権の難問 財政問題
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
議員の選挙制度の問題に続いて
もう一つ、石田三成首相を悩ませているのは
新政権の財政問題でした

というのも、石田政権は
暫定政権と言う事で
財源は、全部、豊臣家が出すと言う事で
スタートしていました
豊臣家が、その持っている石高、222石の10分の1と
豊臣家の鉱山・都市の収入の10分の1で
始められたのです

しかし、それだけでは、将来的に
石田政権が運営できないのは明白でした
今は、まだ財源的に余裕があっても
今後、新政権を、発展していく為には
もっと、財源は必用だったのです

でも、その財源が、なかなか集められませんでした
石田三成の近江佐和山19万石、浅野長政の甲斐甲府22万石
前田玄以(丹波亀岡5万石)、長束正家(近江水口5万石)、増田長盛(大和郡山22万石)
生駒親正(讃岐高松17万石)、堀尾吉晴(遠江浜松12万石)
と言った、石田政権で、大臣になってくれた大名の領地では
石田三成の説得で、大臣に入っている間は
10分の1を、国に入れる事を承知してくれましたが
政権に入っていない大名達は、そう言う訳には行きませんでした
石田三成と親しい大名達の間も
なかなか承知してくれなかったのです

だけど、石田三成首相は、この事を
石田政権の最大の問題として
必死に動いていました
上杉家、宇喜多家、毛利家から
国高が少ない、1万石の大名や
豊臣恩顧の大名にも頼んでいました
豊臣家では、部下にしていた小大名にも
頭を下げていたのです

けれど、それでも、なかなか大名達は
承知してくれませでした
何故なら、秀吉がした朝鮮征伐で
朝鮮に行っていない大名でも
全国の大名は疲弊していました
10分の1を、政府に治める事に
家臣の手前もあって、納得するはずがなかったのです

しかも、秀吉が、石田三成に助言していた事で
豊臣家の御奉公も
一切、中断されていました
秀吉は、自分が死んだ後
大名達が、不満を持つ事を恐れて
政権が安定するまでは
豊臣家の御奉公も
求めないように言っていました
それで、大名は、疲弊していた
藩の財政を立て直していたのです

しかし、豊臣家の御奉公がなかったら
大名達が、政府に、10分の1も
税金として、年貢を納めるはずがありませんでした
各大名は、豊臣家の御奉公が免除される事を条件に
税を納めてくれるのですが
その御奉公がなければ
誰が考えても、税を納めるはずがなかったのです

それで、石田三成は、1年半が経過した事で
政権が、安定した事で
豊臣家の御奉公を復活させる事にしました
この事を、豊臣家の官僚化した家臣に相談したら
豊臣家も大賛成だったので
すぐに、豊臣家から、各大名に
御奉公の命令が発せられたのです

また、その豊臣家の命令は
秀吉の遺言にあった
大阪や京都に、豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る神社や
秀吉の生涯に縁のある各地に鎮座する神社
各大名の領地で、各大名や先祖様が集まる神社を造り
秀吉が亡くなった8月18日にお祝いする事や
戦で亡くなった兵達の霊を奉る神社を、全国に造る事でした

豊臣家は、それを、今年の8月までに
大名は、必ず、1万石事に
兵士を慰霊いる神社と、御霊を称える
二種類の神社を造り
8月18日は、各大名の造った神社で
秀吉公の御霊が、喜ぶ祭りを開催するように
命令したのです

だけど、それは、当然、各大名の反発を招きました
各大名は、この豊臣家の突然の御奉公の命令の裏には
石田三成首相の仕掛けがある事に気が付いていました
過酷な豊臣家の御奉公を、大名に命じる事で
大名が、驚いて、政府に税を納めるようになる事を狙っていると
分かっていたのです

しかし、それでも、独裁者の秀吉の命令なら
否応なく、従ったかもしれませんが
秀吉のいない豊臣家の命令には
素直に従う気持ちが起こらず
憎しみは、そうまでして、税を取りたいのかと
石田三成首相に、向けられ始めたのです

しかし、石田三成首相は
その事に気が付きませんでした
石田三成首相は、秀吉の遺言だった
豊国神社を造る事や
大名の領地に、各大名や先祖様が集まる神社や
戦で亡くなった兵達の霊を奉る神社を造らせ
8月18日に、全国で、お祝いさせる事に
夢中で、気が付いていませんでした

何故なら、秀吉が亡くなった後
豊臣家が、政権を、政府に委託した事で
秀吉の御威光は、急速に薄れていました
今しか、全国各地の大名に、神社を造らせる事は
難しいと少し焦っていたのです

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679号「石田三成政権の難問 選挙制度改革」

今が、ますます幸せだと気がツクには679号
石田三成政権の難問 選挙制度改革
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
慶長5年始めになりました
石田政権が、誕生して
1年半が過ぎようとしていました

この間、石田三成首相を中心とした
石田政権は、各大臣の奮闘で
無事に、政権を運営していました

しかし、これは、誰もが予想していない事でした
最初は、誰もが、政権という仕組みが分からない中で
こんなことうまくいくはずがない
太閤秀吉公が亡くなったら
徳川家康公か、石田三成に反感を持っている大名が結束して
反旗を起こして
石田政権なんて、明智光秀と同じで
三日も持たないなんて
噂されていましたが
石田三成首相は、無事に
治めていたのです

だけど、そんな石田政権も
1年が過ぎようとしてから
大名の不満が出るようになってきました
最初は、どこの大名も
家を潰すような大きな戦は避けたいと言う気持ちで
石田政権を、じっと見守っていましたが
戦が起きない事が分かると
秀吉と言う絶対者がいないだけに
不満が出て来たのです


また、その中でも
大きな不満を持っているのは
大きな領地を持っている
大名達でした

と言うのも20万石以上を持つ大名は
本来なら、9万石で、一人なのに
自分達に任された議員の数は
暫定政権とはいえ、一人しかいません

それで、反石田派の大名達を中心にして
大いに不満が高まっていました
特に、その中でも、徳川家は
250万石なので、本来なら28議席
持てるはずなので、
早く、本来の形にして欲しいと
大名担当大臣、浅野長政に、強く申し入れいました
それが、徳川家を中心とした
今の、反石田三成派の大名達の一番の要求になっていました
秀吉が死んだ後、ちゃっかり、石田三成が、首相になって
自分達を、政権から遠ざけた事が我慢なりませんでした
何とか、自分達の考えを主張する議員を入れて
石田政権の妨害をしたかったのです

また、それで、彼らは、石田三成に理解があった
前田利家公が亡くなると
勢いづいて、政権に、自分達の意見を言う家臣
議員を早く出したがって
禁止されている他の大名にも
内密に、連絡を取り合って
提唱しました

これに、他の20万石以上の大名
毛利家、島津家、伊達家
加藤家、福島家、筒井家、最上家も
本能的に、1万石から5万石の小大名が
数の力で、石田政権を牛耳る事に恐れを頂いて同調しました
議員の議席の問題は、大きな動きになったのです

でも、それだけなら、石田三成首相は
却下するつもりでした
暫定は、4年間可能だったので
みすみす、反石田派の大名が
望む事をする必要はなかったのです

だけど、その不満は
反石田家の大名だけでなく
豊臣家自体にも、及ぶと別でした
豊臣家も、全国で、222万石と言う領地と
各都市を抑えています
それらを合わせたら、徳川家以上の議席数があります
なのに、今、豊臣家の議席は、真田幸村たった一人です
なので、もっと大きく議席を求めていました

しかも、石田三成や各大臣は、
豊臣家の大名がなっていると言っても
豊臣家の為に、働いているとは言えず
豊臣家の家臣達の中には
主君、秀頼が幼くて、何も判断できない事で
官僚化して
豊臣家の意見を主張する議員を
どんどん議会に送るべきだと主張する者が多く現れました

五奉行、三中老が、豊臣政権から離れた事で
石田三成、浅野長政にも
豊臣家に対する影響力が急速になくなり始め
豊臣家は、急速に、官僚化していったのです

しかし、これは、石田三成や
浅野長政大名担当大臣にとっては
難問でした
そんな豊臣家や反石田三成派の言う事を聞いたら
今、議員として活躍している議員達の多くは
辞めないといけないので
不満を持ちますし
1万石から5万石の多くの小大名達にも
不満が出ます

何かを決断したら
必ず、不満が出て来るのです
でも、石田三成は、早急に
決めないといけませんでした
それで、石田三成首相は
最初の構想通りに
この選挙制度の問題に関しては
豊臣家を中心とした選んだ12大名達の中で
選ばれた1名ずつの家臣で決める
選挙対策会議に
すべて委ねる事にしました
今で言えば、すべてを丸投げしたのです

何故なら、議員達によって
自分達の生死に係わる議員の
選挙に関する事を決めさせようとしても
なかなかうまくいかない事は明白ですし
議員達の中で、いろんな対立が生まれます
それで、石田三成首相は、自分達で、自分達の事を決めたり
取り締まったりする事ができるはずがないと判断したのです

また、石田三成首相は、議員の選挙以外の問題でも
議員に関する問題は、すべて大名の委員会に
任せた方がいいと考えていました
議員の汚職の問題から、議員を辞任させることまで
すべては、大名の委員会達が調査し、決定できるように
したらいいようにするつもりだったのです

と言うのも、石田三成首相が、最初に、考えた政の仕組み通り
司法や裁判に関する事を任せる評定所の所に
民間の事はすべて任せるとしても
議員と大名の事は
別としないと
官僚化した司法、行政の人達に
議員達が、裏で、操られる恐れがあります
調査し、逮捕し、裁判するのが
すべて官僚達なら、
議員は、官僚に支配される
石田三成首相は、自分自身が、官僚だった事もあって
その事が、よく分かったのです

しかも、これは内緒ですが
石田三成に、そう言ってアドバイスしてくれたのは
原マルティノ神父でした
原マルティノ神父は、大名に、議員の事をすべて決めさせる事で
大名に、支配されるのではないかと、石田三成が、懸念した時
「怖いのは、大名ではありません。強大な権力を持った官僚達です」
と教えてくれ
石田三成首相は、豊臣家の家臣達が、官僚になって
もうすでに大きな圧力をかけて
議員の制度を動かそうとしている事で納得しました

それに比べたら、政府の官僚達よりも
人数が遥かに限られている大名達に任せた方がいいです
石田三成は、議員の事は、議員達にも、官僚達にも
絶対に任せない事を決心して
それを固く、後の内閣にも、引き継がせたのです


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678号「前田利家公の死」

今が、ますます幸せだと気がツクには678号
前田利家公の死
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
前田利家公が、病死したのは
慶長4年3月3日でした
前田利家公は、領地である
加賀藩の金沢で亡くなったのです

しかし、それは、石田三成の背筋を
寒くさせました
秀吉が亡くなる前には
徳川家康と唯一戦える前田利家が
秀吉が亡くなった後
わずか、半年ぐらいで
病死してしまうなんて
秀吉も、石田三成も、まったく予期しませんでした

もし、それが分かっていたら
五大老の制度も
秀吉は考えなかったと思います

だって五大老制の中では
徳川家康に、唯一、対抗できる前田利家が
秀頼が、もう少し大きくなる前に
亡くなったら
力の均衡が取れなくなって
後は、徳川家康に、豊臣政権が乗っ取られて
好き放題にされてしまう事は明白です

しかも、そうなったら
後は、豊臣家側の大名は
家康に、何かの容疑を掛けられて
潰される事も考えられますし
それに対して、同じ五大老の前田家、上杉家でも対抗できません
簡単に、潰されます
最後には、豊臣家も、家康に
ゆっくり時間をかけて滅亡される事になるのです

だから、石田三成は、あの時に
原マルチノ神父の話を聞いて
政府、内閣を造る提案を実行して良かった
と心から思いましたし
最初は、反対だった自分に
秀吉公が、強引にさせた
その着眼力に
改めて驚きました
やすがは、太閤秀吉様だと
改めて尊敬したのです

しかし、そんな石田三成も
今は、前田利家公が亡くなった事でも
さほど、心配はしていませんでした
元五大老として、今でも影で
自分を支えてくれていた実力者で
次男の前田利政の領地を合わせて
100万石を領している
前田利家公の死は痛手でしたが
それでも、石田三成の内閣、政権は盤石でした
これを機会に、反逆する心配もあった
反石田三成の大名は、たくさんいましたが
加藤清正、福島正則も、何の動きもありませんでした
徳川家康さえ、何も動かなかったのです

ですから、石田三成は
3か月後に行われた
前田利家公の、葬式には
全国の大名が、金沢に集まるのを認めました
人徳者だった前田利家公の葬式には
多くの大名が、豊臣家に、葬式の参列を求め
石田三成は、大名担当大臣である浅野長政と相談して
引き連れる家臣は、1万石の大名で20名
5万石で、30名、10万石で50名
百万石の元五大老でも、100名と
言う人数制限をして認めました
大名が、領地を離れるのを
例外処置として認めたのです

でも、その葬式の時に
ちょっとした事件は起きました
葬式には、首相として、石田三成も参加して
「前田利家公、秀吉殿下に、お会いしたら
殿下の考えた政の仕組みによって
豊臣家も、日本も安泰です
三成が、万事すべてうまくやっているので、ご安心下さい」
と報告して下さいと
前田利家公の遺体に
心の中で挨拶した後
その日の晩に、石田三成は
同じように葬式に参加した武断派の加藤清正、福島正則、黒田長政
細川忠興、浅野幸長、池田輝政、加藤嘉明の7将に
襲撃されそうになったのです

でも、石田三成は
日本軍担当大臣であった大谷吉継に依頼して
日本軍の二千兵を
金沢に入れていたので
未然に、これを防ぐ事ができました

石田三成の泊っている場所には
石田三成たけでなく、各大臣もいるので
二百人の日本軍が守っていて
何か後は、すぐに、後1800人も
駆けつける事ができるようになっていました

それで、それを知った
7将は、襲撃を諦めました
三成には、石田家だけで護衛は少ないと思っていたのに
日本軍を自由に使える事を知ったので
返り討ちに合うのを恐れたのです

しかし、石田三成は
この事を、知ると
チャンスとばかりに
厳しい処置に出ました
大名担当大臣である
浅野長政と協議して
その様な計画があったのか
7将に厳しく尋問したのです

ただし、7将の中には
浅野長政の嫡男、浅野幸長もいたので
その処置は、穏便でもありました
石田三成は、同じ豊臣家の仲間だった
7将達の命を取るつもりはありませんでしたし
家を潰すつもりもありませんでした

そんな事をしたら
秀吉の願いとは違ったものになりますし
石田三成政権で、大名を取り潰したら
絶対に潰さないと言う決まりごとが崩壊して
大変な事になります
全国の大名が、動揺するのです

なので、石田三成と、浅野長政は
厳重注意を与える事で
この問題を終えました
7将は、容疑を認めなかったので
証拠不十分と言う事になりました

後は、浅野長政が、7将に対して
「石田三成も、豊臣家の恩顧の大名である
7将の家を潰すつもりはない」
と言って、7将に、石田三成の真意を伝え
7将が、本音では、どう思っているかは分かりませんが
二度と、こんな真似、戦国時代のような武力を
使った行動はしない事を約束させました
全国の大名に、もう武力、戦の時代は終わったという事を
知らしめる事が出来たのです

だけど、この事で
石田三成は、今まで抑えていた
傲慢な気持ちが
自分も知らない内に生まれている事に
気が付いていませんでした

秀吉の名前の元で
自由に権力を使っていた
石田三成は
秀吉が亡くなった後
謙虚な気持ちで
首相の役を務めていたのですが
首相と言う権力が
秀吉の力よりも
ある意味では、もっと力がある事に気が付くと
権力を笠に着る
以前の悪い癖が出るのを抑えられなくなっていたのです

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
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677号「徳川家康の焦り」

今が、ますます幸せだと気がツクには677号
徳川家康の焦り
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太閤秀吉が亡くなった後
朝鮮から日本軍が撤退するまでは
元五大老は、大阪城にいる事という
太閤秀頼の遺言の為
日本軍が撤退する
12月初旬までは
大阪城にいた徳川家康が
江戸城に戻ったのは
慶長3年12月10日でした

しかし、その前から
ずっと徳川家康は
焦っていました

秀吉が死んだら
大きな戦になって
徳川家が滅亡する可能性があっても
五大老筆頭と言う地位を利用して
天下取りを目指そうと決心していた徳川家康は
死ぬ間際に、小賢しい石田三成が考えた
政府というシステムの為に
五大老の地位を、他の前田利家、毛利輝元達と共に
同志討ちという形で捨てさせられ
それ以降は、まったく政権に係われませんでした

関東に帰国後は
二百五十万石の領地から
一歩でも、出るには
豊臣家の許可が必要とされていたのです

しかも、石田三成内閣から
まったく情報が入ってこない上に
伏見城、大阪城に滞在している家臣からも
来る情報は、遅く、
他の大名の情報と変わりませんでした

今更ながら
五大老の地位を取り上げられた事の痛手が大きかった事
痛感したのです

だけど、徳川家康は、その反面
自分でも同じ事をするだろうと思っていました
この家康が、政権を取ったら
政権は、徳川の家臣、譜代の家臣だけに担当させて
外様の大名達には、一切、政権に加えさせないと思っていた
徳川家康には、石田三成の取った策が
それだけに、忌々しかったのです

しかも、石田三成は、豊臣の家臣同志でも
自分と仲が悪い、武等派の加藤清正、福島正則らが
豊臣政権に入るのを嫌って
自分と同じように
国内から一歩も出られないようにする為に
各大名から、1名ずつ
若手の有能な家臣を議員として
新しい政権に係わらせるという
とても信じられない策を実行して
見事に成功させました

徳川家康も、そんな政権に
今の自分の参謀役をしている
本多正信の嫡男、本多正純を入れていますが
250石なのに、議員は、たった一人では
どうする事もできなかったのです

その上に、議員である
本多正純との連絡も一切禁止されています
これでは、関東の田舎にいては
京の情報は、遅れるばかりです
策も、施す事ができなかったのです

しかし、徳川家康は
それでも、諦めませんでした
このまま、石田三成内閣、豊臣家が続いたら
250万石の大大名の徳川家は
いつか、自分が亡くなった後
潰されます

徳川家康は、石田三成が言っていた
豊臣家は、今後、どの藩も潰さないと
言う事が、とても信じられませんでした
戦乱の世を生き抜いた徳川家康には
何としても、徳川家が生き残るには
自分が、天下を取らないといけないと決心していたのです

それで徳川家康が、慶長4年の1月から実行したのは
豊臣秀吉が、文禄4年(1595年)8月から禁止している
大名同士や家臣の婚姻を実現させることでした

徳川家康は、密かに
自分と親しく、石田三成に反感を持っている
伊達政宗の長女・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝。
松平康元(家康の甥)の娘と福島正之(福島正則の養子)
蜂須賀至鎮(蜂須賀家政の世子)と小笠原秀政の娘。
水野忠重(家康の叔父)の娘と加藤清正
保科正直の娘と黒田長政(黒田孝高の嫡男)
などの婚姻でした

でも、これもうまく行きませんでした
五大老筆頭だった、自分の婚姻の話なら
積極的になった大名達も
今の自分の話には、興味も持ちませんでした
どの大名も、石田三成、大名担当の浅野長政の目を気にして
縁談の話に対して、丁寧に断って来たのです

しかも、どの大名から漏れたのかは分かりませんが
徳川家康が、密かに、秀吉の定めた大名同士、家臣の婚姻の禁を
犯している事は
石田三成、浅野長政の知る所になって
大名担当大臣の浅野長政ではなく
寺社担当大臣である堀尾吉晴から
厳しい追及がありました
五大老筆頭だった、この家康が
三奉行の一人だった堀尾吉晴に、厳重に注意を受けたのです

でも、徳川家康は
腸(はらわたが)が、煮え返っても
恫喝して追い返したくてもそれができず
堀尾吉晴に、丁寧に詫びを入れて
その注意を受けるしかありませんでした
いくら250万石を持っていても
自分に味方してくれる大名は
一人もいません

それで戦ったら
小田原城に籠城した北条家と同じように
滅亡するのは目に見えています
徳川家康は、忍の文字で
石田三成内閣の失策を待つまで
耐えるしかなかったのです

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667号「太閤秀吉の死」

今が、ますます幸せだと気がツクには676号
太閤秀吉の死
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太閤秀吉が亡くなったのは
慶長3年(1598年)8月18日でした
太閤秀吉は、居城で
石田三成内閣の議会も始まっている
伏見城で亡くなったのです

また、そんな秀吉の
辞世の句は、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
というものでした

しかし、その辞世の句を残した秀吉に
悲しみ、悲観感はありませんでした

何故なら、秀吉が、死ぬ前に
口癖で言っていた事は
新しい内閣、石田政権の事ばかりでした
石田三成は、まだまだ未熟だし
内閣は、誕生したばかりなので
失敗も多いだろうが
何とか、暖かい気持ちで見守ってやってくれ
秀吉は、その事だけを
元五大老や、各大臣に頼んでしました
その事に関する遺書も
何個も残していたのです

しかも、秀吉は
我が息子、秀頼に関しては
殆ど、五大老、各大臣に頼む事はありませんでした
石田三成と大名担当大臣の浅野長政に
一度ずつ、頼んだだけでした

秀吉には、この内閣の制度が成功する事だけが
我が子秀頼を唯一、守る事になる事を分かっていたので
そうしていたのですが
後の世間は、その当時の大名は
そう取りませんでした

太閤秀吉殿は、最後まで
日本の為に、全力を傾けていた
遠い未来まで、その優れた先見性で見ていて
日本に、民主主義という
世界にない優れた制度を
欧米に比べても、何百年も先に
作ろうとしていた
そう評価されていました

秀吉が、後、一年、二年生きたら
日本の民主主義は、どうなっていただろう
日本は、50年、100年早く
民主主義を定着させて
イギリスと並ぶ
大国になっただろう
そんな予測をされる存在になっていたのです

また、秀吉が死んだ事は
内外に秘密とされ
死の直後に通夜も葬儀も行われないまま
その日のうちに伏見城から阿弥陀ヶ峰に遺体を移し埋葬され
家督は秀頼が継ぎました
秀吉の意志で、朝鮮の戦で
日本兵が、無事に、撤退できるように
最新の注意がされていたのです

そして石田三成首相は
議会を、浅野長政大名担当大臣に任せ
肥前名護屋城に入ると
小西行長に、秀吉の死を伏せたまま
朝鮮国との和議を依頼して
明軍と和議を結び、全軍朝鮮から撤退する事に成功しました

多少の混乱はありましたが
日本軍は、明国・朝鮮国に対して
第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天城の戦いなどで勝利しており
明国・朝鮮国も、疲弊していました
大きな犠牲者もなく、撤退する事が出来たのです

また、その石田三成首相の手腕は高く評価され
石田内閣は、大きな危機を乗り越える事ができました
その後、石田三成首相は
伏見城に戻ると
太閤秀吉の遺言の一部を公開しました

それは、太閤秀吉が、大きくなった秀頼よりや
全国の家臣である大名
内閣に当てられていたもので
秀吉が作った士農工商の身分制度は
将来は、できるだけ早く廃止して
どんな身分のものでも、自分のように首相になれるようにする事
宗教に関しても、将来は、政治に係わらないのなら
どんな宗教も認められる世の中にする事
国内の商業を発展させ、外国との貿易も積極的に推し進め
国を閉ざしてはいけない事
外国との戦は、慎重に推し進め、最終的にどうなるかを考えて
決断する事
豊臣家は、独自に考え、国が滅亡する戦は
絶対に、命がけで止める事
海外の日本町をどんどん発展させ
ヨーロッパの国々から、アジア諸国を解放する事
敵、味方を問わずに、戦で亡くなった兵達の霊を
奉る神社を、全国に造る事
その中でも、もっと大きな神社には
織田信長公の霊を奉る事
自分が、死んだ日は、日本中の先祖様が集まり
日本国の栄えを、神々に感謝する日として
日本全国で、派手に、お祭りをする事

秀吉は、そう言った願いを
内閣と豊臣家、大名に託していました

自分が作った身分制度である士農工商の破壊
自分がした政策、キリストの弾圧の中止
自分が失敗した戦、朝鮮出兵と同じ過ちの繰り返し
自分ができなかった夢、日本の大発展
そして何よりも、織田信長公の霊に対する供養と
戦で亡くなった霊達、日本のすべての霊達の供養
それを、後の人達が、実行してくれる事を願って
そんな遺言を残しました
それが、自分に、内閣の制度の事を教えてくれ
影から協力してくれた
唯一、原マルチノ神父との約束だったのです


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675号「石田三成首相誕生」

今が、ますます幸せだと気がツクには675号
石田三成首相誕生
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
五大老と五奉行が、集められた大名、家老に
新しい政の仕組みを発表した三週間後の7月7日
実際に、政が始められました

また、その政で、首相になったのは
石田三成でした

と言うのも、6月15日、大名、家老達に説明した後
各大名を代表して、1名ずつ選ばれた人物に対しては
早速、翌日から、ルールの説明
教育が始められました
五奉行と役人が、直々に、教えたのです

しかし、この事に対して
大名、家老の中には
抵抗するものがいました
そんな制度とは思わなかったので
もっと別な優秀な人材に変えたいという申し入れが
徳川家など、何家からあったのです

でも、秀吉は、認めませんでした
事情を知った大名が送りこむ人材は
どんな人材か分かっています
藩、大名の事を考えて行動する人材です

なので、そんな人材を選ばせない為に
秀吉は、あえて、詳しく説明させなかったのです
それで、秀吉は、変更を認めず
三週間、教育した後
実際に、首相が決めさせました

ただ、急に、選ばれた、各大名の代表として
選ばれた、170人の議員で
首相を選ばれる訳がありません
なので、4年間は、暫定処置なので
この新しい政を考えた責任者でもある石田三成を
豊臣家の代表として選ばれた唯一の家臣
真田幸村が、石田三成を推薦して
その石田三成が、議員達の前で
首相になりたい抱負を
演説という形で延べ
信任投票が行われました

石田三成は、その投票で
7割の議席を獲得して
反対票が、3割もあった事に
ショックを受けながらも
首相になると
早速、内閣を造りました

五奉行の石田三成、浅野長政、増田長盛、長束正家、前田玄以は
大臣を辞めても、例外的に、自分の藩の藩主に復帰できる事になっていて
それまでは、藩を兄弟や息子に任せて
引退して、それぞれ、石田三成は、首相
浅野長政は、大名担当大臣、増田長盛は、土木担当大臣
長束正家は、財務担当大臣、前田玄以は、外交担当大臣になったのです

また、他にも、生駒親正は、御所・朝廷・公家担当大臣
堀尾吉晴は、寺社担当大臣、中村一氏は、宗教担当大臣になり
大谷吉継は、軍担当大臣になりました
石田三成の内閣は、豊臣政権のものが殆どを最初は占めたのです

しかし、石田三成が首相になった事は
ものすごく大きかったです
政は、石田三成首相を中心に動き出し
五大老は、その影響力を急速に失いました
政に、まったく加われなかった事が大きかったです

しかも、その内閣を、五大老の任を辞めた
前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家は
支持していました
一切、口出しをしなかったので
五大老筆頭だった、徳川家康も、何もできませんでした
病になっている秀吉が、死ぬまでは
無理だと様子を見るつもりだったのです

こうして、石田政権は
秀吉が、生きている間は
無難にこなして
大名に約束していた
妻子や大名自身を、国元に返す事も
どんどん行っていました

秀吉の命令で、五大老だったものを除いて
他の大名は、1か月後には
大阪城に、藩の役人を残して
殆どは、国元に帰る事になったのです

また、そんな石田三成首相は
多忙を極めながら
精力的に、首相と言う大任をこなしていましたが
最大の問題は、朝鮮出兵をどうするかでした
石田三成内閣は、早急にこの難題を
こなさないといけなかったのです

それで、石田三成は
秀吉の意志もあって
8月半ばから
朝鮮国から、日本兵をすべて
引き上げさせる作業を始める
準備をする計画でいました

太閤秀吉が、いつ亡くなっても
その死を内外に伏せて
日本軍を撤退させられるように
太閤秀吉が、8月半ばでも
生きていても、
太閤秀吉の意志だと言う事で
撤退する事を決めていたのです

ですが、その事に関して
石田三成を、苛立たせていたのが
議員達でした
最初は、よく分からないまま
議員になった人達も
議会が、豊臣家の好意で
伏見城を与えられて
石田三成を支持する与党と
支持しない野党に別れ
議論が始まると
質問をして、石田三成を手古摺らせました

今まで、秀吉が、始めた朝鮮出兵に対して
誰も、非難などできなかったのですが
議会では、議員が、何を発言しても
自由と認められていました

それで、自然と野党になった議員達は
最初は、恐る恐るでも
石田三成の内閣を責め
そんな事に慣れていない
石田三成の内閣、旧豊臣政権の奉行達を困らせました
いえ、時には、怒らせました

ですから、戦の事なので、軍議に関しては
秘密ですと言う事で
石田内閣は、逃れながら
議会を進めていたのです


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674号「秀吉の決意を聞いて、涙ぐむ大名達」

今が、ますます幸せだと気がツクには674号
秀吉の決意を聞いて、涙ぐむ大名達
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
秀吉と五大老があった翌日
集まった諸大名や朝鮮出兵の為に
来られなかった大名の代わりに参加した家老
約200人の前で
五大老、五奉行が
豊臣家が、新しく実行する政の仕組みが
発表されました
合わせて、五奉行、五大老制度の廃止も
伝えられたのです

しかし、それは、すべての戦国大名、家老達を
驚かせました
豊臣家が、政権を放棄して
新しく作る、日本国、政府に
政権を委託する事
すべての戦国大名は、今まで通り豊臣家の家臣だが
その臣下関係は、大きく緩められ
人質として留めている妻子は、一切国元に返され
二度と、人質は取らない事
大名の取り潰しは、明確な謀反を起こさないかぎり絶対に行わず
藩主に罪があっても、隠居までで、命は取らず
跡継ぎは、子供に継がせる事
税は、今まで通り、豊臣家に御恩をするか
税の10パーセントを、国に納めるかを
選択できる事
どれも、これも全く予想していなかった事です
武家の常識ではありえない事だったのです

しかも、五奉行の筆頭で、新しく大名担当大臣になる浅野長政から
秀吉の言葉として
「天下が平定されて、戦国時代が終わったこの世の中が
秀吉が、亡くなった後、今のままだったら、再び
有力な大名同士が争って
全国で大戦が起きて、戦国の世に戻ってしまう事
そうなったら、今の戦国大名も、半分以上は
家を無くしてしまう事が予想される事」
を語られました
秀吉が、それを懸念している事を
大名が知ったのです

しかも、その事は、内心、この乱世の生き抜いた戦国大名や家臣だったら
誰でも、内心、心配していた事だったので
どの大名も、否定できませんでした
それで、場は、一時は、大騒ぎでしたが
その言葉で、シーンとしてしまったのです

浅野長政は、そんな大名達に手応えを感じると
「それで太閤様は、前から、密かに五奉行と評議して
昨日、五大老の承諾を得た仕組みを考えました
今後、豊臣家を含めた1万石以上の大名が
この人物はと、選んだ有能な家臣が
1850石を9石で分けた
200議席を決めていく事」

「議席は、主要都市にも与えられ
秋田、酒田、直江津、江戸(4議席)
三国湊、桑名、小浜、坂本
大阪(6議席)堺、京都(2議席)
博多(2議席)長崎(2議席)・・・
合計、30議席与えられ
それは、その都市を治めている藩主が
町民と相談の上に決める事」



「その230議席と後で述べる10議席は
4年間ごとに、80議席ずつ
12年間で入れ替えていく議員と呼ばれる者達が
構成していき
そんな議員達の中で
選挙というもので
一番、多数決で多い、支持されたものが
首相となって、大名担当の大臣以外の大臣を選んで
内閣を作る事」

「ただし、その議員に対しては
各戦国大名は、一切、口出しをする事は禁じる事
議員に、大名が、個別に手紙を出したり
直接、会う事も禁じられ
陳情や賄賂に対しては、大名も議員も
厳罰に処置する事
なので、選ばれた議員は、藩ではなく
国の為に、働かないといけない事」

「首相、大臣になれる人物は
議員と、藩主は駄目で
藩主がなる場合は、完全に引退するのが条件で
200議員の内、20議員の推薦があったものの中で
過半数を得た人物が、なる事」
浅野長政は、昨日、五大老に説明した事と同じ事を言いました

「例えば、250石の徳川家なら
27議席があって
4年事に、7人、7人、7人、6人と
選ぶ事になる事
1石、2石で、9石に及ばない大名は
できるだけ同じ土地で、9石になるようにして
その中で、順番で選ぶようにして
1石、1石、5石、2石なら
16年間で、一人ずつ、石に応じて選ぶようにする事
ただ、それでは、1石の大名なら
選ぶのに、9×16年になるので
各藩が4年に1回、選んだ人物の中で
合計10名、3名、2名を、豊臣家が選んで
推薦する事」

「それでは、まったく大名が政に係われないので
16年事に一回、1万石の大名は、全員、平等に議員になれて
4年間を担当する事にする事
ただし、首相、大臣を決める権限は
豊臣家に任されて
家臣と評議の上で、決めていく事」

「また、この制度は、まだ始めたばかりなので
いろんな問題点もあると思うので
各大名の意見を聞きながら
今後も、改革していく事
その為に、断定として
4年間、とりあえず、
各大名達が、1名ずつ選んだ者達を議員として
政府を始める事」

「この制度の仕組みは、すべて、議員ではなく
我々、大名で決めて行く事」
浅野長政は、そう淡々ときめられた事を言いました

しかし、浅野長政は、この政の制度は
前代未聞の事なので
やってみないと分からない事なので
下手をしたら、大混乱する事を予想していました
それで、大名達に、これをどんどん改良する事を約束したのです

だけど、予想通り、大名達や家老には、突然、こんな事を言われても
さっぱり理解できませんでした
突然、太閤秀吉様は、何をするつもりかと
まるで、未来から来た話で
戸惑うばかりでした
何を質問したらいいのかさえ、分からず
ただ、黙って、聞いているだけだったのです

なので、浅野長政が
「何か質問があれば、お受けします」
と言いましたが
大名や家老の間で
質問する人は、出てきませんでした

たがら、そんな大名達に
浅野長政は、最後に、秀吉が、渡された手紙を
皆に、「太閤様からだ」と言って
見せると読みあげました

「俺は、織田信長様から引き立てられて
百姓から、天下取りまで、上り詰める事ができた
それは、いろんな困難を、助けてくれた
家臣である皆のおかげたが
それだけでなく、天、神のおかげだと言ってもいい
しかし、それは、俺だけでない
多くの名門ある大名の中で
お前達が、今でも残っているのは
天、仏、神の意志だ」

「なので、この大名の制度を、一人残さず、未来永劫、
子子孫孫 の代まで、残していけないといけない
これからの大名の存在意義は
例え、1万石でも、おのが国と民を、心から愛して
国を、目先の事に、捕らわれずに
五十年、百年の単位で考えて
発展させていく事と
お前達が、真剣に選んで
この人物ならと思う人材を、国に送りこむ事だ
そうすれば、日本の国は
常に、優秀な人材が、運営して
滅びる事はない
すべては、お前達に任されている
これからも、大名が、日本を動かしていくのだ」
浅野長政は、秀吉の言葉を伝えました
秀吉の並々なる決意を伝えたのです

また、その決意を聞いて
よく分かっていませんが
涙組む大名もいました
どの大名にとっても
何かの失敗や容疑を掛けられて
家を潰す不安は常に持っていました
それが、なくなるという事だけで
ほっとして
太閤秀吉様は、死ぬ前に
そんなに我々の事を考えてくれていたのかと思うと感動して
涙ぐむ、豊臣家恩子の大名もいました
太閤の命令で、一部の大名がしたやらせだったのですが
その演出は、見事に成功して
誰も反対しませんでした

各大名にて取っても、実質上損害はなく
五大老以外にとっては、いい事が多かったので
大きな反対はなく
やってみる事に決まったのです

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673号「秀吉が、五大老前で、政権返上を伝える」

今が、ますます幸せだと気がツクには673号
秀吉が、五大老前で、政権返上を伝える
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
五奉行達が、五大老に説明した後
病の秀吉が、五大老の前に現れると
自分の思いを告げました
直接、もの凄い気迫で
説明したのです

また、それは、秀吉のしみじみと言った
「今のまま、俺が死んだら
折角統一された天下は乱れ
お前達、五大老の中で、必ず対立して
全国を2分する戦が起きて
今、大名になっているものも
半分は、家を潰す事になるだろう」
と断言する言葉で始まりました

また、その事に関して
五大老筆頭の徳川家康や前田利家が
「そんな事はありません
太閤様が亡くなった後も
我ら、五大老が、評議して
五奉行を支え
豊臣家と豊臣秀頼公を支えます
戦は、起こしません」
と口々に言っても
秀吉は、納得しませんでした

「それは無理じゃ
権力と言うものはそんなものではない」
と、秀吉は、あっさり否定すると
五大老の前で、後悔するように
少し咳き込んで
「うう、ゴホン
俺がそうだった
俺が、本能寺の変で亡くなった織田信長公の跡を継いだのは
明智光秀を討った後、清州会議で
織田信忠の嫡男、3歳の三法師様
今の織田秀信を擁立する事に成功したからだが
年齢で考えても、今の秀頼と変わらない
秀頼を巡って、あの時と同じ
あの時以上の大戦があるだろう。うう」
秀吉は、そこで一旦咳き込むと

「俺は、あの時、仲が悪かった柴田勝家殿と争い
徳川家康殿とも戦った
その戦いで、多くの織田家の仲間を滅ぼした
共に、信長公の為に戦った多くの仲間を
死なせたのだ
二度とあんな大戦は起こしてはならない
大名の中には、前田利家や、徳川家康のように
織田信長公から仕えたものもたくさんいるものを
みすみす戦で滅ぼす訳にはいかない
うっほん・・・・
そんな事になったら、一介の百姓から、武将にしてくれた
織田信長公に、あの世で、俺は合わせる顔がない」
秀吉は、そう力強く言いました
それは、歳を取ったと言っても
天下を統一した豊臣秀吉の優れた予知だったのです

「それで、俺は、どうしたら
戦を防げるか、考えた
必死で考えた」
秀吉は、そう苦悩を語ると
一呼吸して、今から一大決心を言うかのように

「豊臣家は、今の政の政権を
放棄する事にした
政には、一切係わらない
だが、それはどの大名も同じだ
どの大名にも、政権は持たせない
どの大名も持つ事になったら
争いは生まれる
ううう、うっほん
政権は、大名が、選んだすぐれた家臣の中から
選挙、一番支持される、実力のあるものが
委託されて、4年から8年の間
任期の間勤めたらいい」

「亡き信長公は
一番、実力のあるものが
政権を運営していたらいいと言う考えだった
ご息子さんにも実力を求めていた
今更、織田信長公、織田家に返す事はできないし
信長公も、そんなものを求めないだろう」
豊臣秀吉は、自分を可愛がってくれた織田信長公に対して
懐かしむように言うと

「政は、一番有能なものがしたらいい
大名は、そんな政を常に監視して
その人物、首相が、私利私欲を
起こさないように
監視したらいいのだ
それなら、信長公も、納得して
この秀吉の大罪を少しは許してくれるだろう
うううねううっうほん」

「それが、秀頼の為でもある
何しろ、天下の政を司る事は
骨が折れるからな」
秀吉は、そう言うと
親友であり、織田信長の時から
共に、仕えた大名、前田利家に同意を求めました
前田利家なら、自分の気持ちを分かってくれると思ったのです

また、そんな秀吉の気持ちは
前田利家には、通じていました
前田利家は、秀吉から、久しく聞かなかった
織田信長の名前を出た事に驚き
秀吉が、柴田勝家などの多くの仲間を
戦で滅ぼしてしまった事を
今でも、後悔している事を知りました
その心が、今でも織田信長公を
心から慕っていた前田利家を感動させていたのです

しかも、天下を取った豊臣家が
自ら、政権を放棄する事は
本当に、驚くべき、潔いよい決断ですし
天下は狙わず、秀頼公を支えて
豊臣政権を守りたいと思っている前田利家にとっては
秀吉の提案も悪くないように思えました

これで、徳川家康を、豊臣政権
天下の政から、合法的に
離す事ができるかもしれない
豊臣家と、我ら前田家、上杉家、毛利家、宇喜多家が
揃って、政から離れたら
五大老の職を辞任すれば
徳川家康も、従わないといけないので
あるいは、徳川家康の野望を防げるように思えたのです

だから、前田利家は、秀吉に対して
「殿下がそう決心したのなら
我ら家臣は、何も言う事はありません」と賛同しました
反対しても、秀吉は、強引に決めてしまうだろうと思ったのです

また、それは、他の毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝も同じでした
秀吉は、秀頼が生まれると
関白で、自分の身内で、甥であった豊臣秀次さえ
家族や家臣まで、平気で殺しています
反対したら、何をされるか分かりません
それで、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝も賛同して
徳川家康も、顔に不満を出さずに賛同しました
秀吉の執念を感じたのです
もし、この場で、断れば、
謀反の疑いをかけられ、蟄居を命じられる事が分かったのです

それで秀吉は、ほっとすると
新しい政のシステムを
五奉行に、説明させると
退席しました

後の残りの秀吉の最大の仕事は
一日も、長く生き残る事でした
何としても、石田三成を首相にした政権が
誕生させるまで
後、1か月、2か月は生きる
秀吉は、ただただ、それを願っていました
織田信長公の霊にも、「上様、後1ヶ月間は
日本の為に、生かして下さい」と
お願いしていたのです


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672号「秀吉の策 国と地方分権制度」

今が、ますます幸せだと気がツクには672号
秀吉の策 国と地方分権制度
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また、五奉行は、五大老に対して
国政と地方分権の考えを説明しました
各大名が、藩としてやる事と
日本の政府、国がやる事を明確にしたのです

すなわち、日本の政府は、国同志の外交、軍備
日本全体の統一したルールとそれを監視する事を担当して
大名は、自分の領地内の事なら、他のすべてを任されました

年貢の割合、一揆の取り締まり、商業の発展、海外との貿易
すべては、大名が決めていい事になっていました
地方主権が約束されました
国が、何でも、かんでも、介入しない事を
約束したのです

また、五奉行は、そんな政府を運営していく財源として
豊臣家も含めて、五大老や各大名に、年貢や鉱山、商いの
各収入の1割を治めて頂く事を申し入れました
政府は、それで運営していくと言ったのです

しかも、その税金を
各藩が不正していないかをちゃんと監視する
政府の機関を、各藩に設置する事も
お願いしました
それをしないと、日本全国が
公平にできないと言ったのです

それと、軍としても、各藩から集めた有能な人達で
日本の海軍と陸軍を作る事も提案しました
1石に、20人の若者を
政府に派遣するように要請して
陸軍、1万5千人、海軍、1万5千人
合計、3万人の日本軍を作る構想を
披露したのです
これで、外国が攻めて来ても
日本を防ぐ事にすると言ったのです

その上で、この軍を動かす事ができるのは
政府の首相の命令で、軍の大臣でも
その権利がない上に
それを動かすには
最終的には、関白である豊臣家の承認が必要で
ない場合は、一兵も動かせない事にしました

そうする事で、軍に対する監視は徹底して
軍の人事権に対しても
豊臣家が、最終的には握りました
豊臣家が、承認しないと
将クラスは、誰も、決められない上に
豊臣家で、将を派遣できるようにしたのです

こうして、軍の暴走は抑えて
首相になった人間が
豊臣家や、各大名に、向ってこない事を防ごうとしました
今で言うシビリアンコントロールを徹底したのです


しかし、そんな提案を
五大老や、各大名が
素直に、受け入れる訳がありませんでした
特に、10パーセントを治めるというのは
治める税を多くするという事です
下手をしたら、各大名の中で
反乱する大名も現れる可能性もあります
五大老の藩主、徳川家康を筆頭にいい顔をしなかったのです

でも、その事は、五奉行も、豊臣秀吉も
分かっていました
なので、秀吉は、それを実行する為に
大胆にも、この事を実施するのは
政府が誕生した後、4年後からで
それまでは、全部、豊臣家が負担する事にする事にしていました

豊臣家が、年貢、鉱山、商いなどの
豊臣家の収入で、これを賄う事にしましたし
新しく作る日本軍に対しても、4年後からで
それまでは、豊臣家から
5千人の兵士を提供する事を
五奉行は、五大老に説明したのです


しかも、4年後、それに参加したくない大名がいても
強制しない事も、五奉行は、五大老に約束されました
ただ、その代わりに
そう言った大名に対しては
今まで通り、豊臣家に対する御恩は
継続する事も、明言されました

国に、政府に、税金というものを納めている大名に対しては
一切、豊臣家に対する御恩から解除されますが
拒む大名に関しては、豊臣家の御恩をする義務は
あるとされたのです
それで、各大名が、どちらの方が、得かを
ゆっくり考えて
自然に選べるようにしました
素直に従わない大名には
豊臣家の御恩を厳しくしたらいいと考えていたのです

その上で、政府と各大名の関係でも
一切の御恩はない事を明言されました
政府が、大名に依頼する時でも
ちゃんと、納得した賃銀を支払う事を保障され
納得しなかったら
断る義務がある事も約束されました
あくまで、政府と地方、各大名は
対等だと言う事を保障されたのです
こうして、地方分権が、確立されようとしていたのです

だけど、そんな説明を
急にされても
五大老が、納得できる訳がありませんでした

正直言って、五奉行自身も、まだよく分かっていない事で
発案者だと言う石田三成も
分かっていない面もあって
五大老には、チンプンカンプンだったのです

でも、それでも、唯一、五大老が、本能的に分かっていた事は
今の自分達の五大老の地位を取り上げられて
今後、一切、豊臣政権だけでなく、国政にも関与できない事は
理解できました

石田三成が、急遽、考えた事だろうが
いくら衰えている太閤秀吉が
決めた事だからと言って
素直に、賛成できなかったのです




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